CHANCE!
平成21年7月5日 目次に戻る
この日の主役はなんと言っても発売されたばかりの『CHANCE』。
すぐに書店に買いに走って下さった方、あちこちの書店に注文を出して下さった方や、お友達からこんな感想を貰ったなど…(本当にありがとうございます)
体調の悪い時や心配事のある時は手を表紙に当てるといいよ、と会長。また、パッと開いた頁がその日のその人のテーマであり、ヒントになるから、とも言われ、それぞれに開いてその頁を読んでみることに。"33 健康だからと言って長生きするとは限らない"を開いて読んで下さる方、"69 今直ぐ、何をすべきかを考えろ"を開いて読んで下さる方、"70 人の命は一寸先も分からない"のところでは、いつのまにか皆で「普賢花」の合唱になり……会長のこんな話も聞くことが出来ました。
「父親が死んだ事も知らないで、子供が普賢岳の麓ではしゃいでいる。だから生きなきゃいけない、母親が夫の後を追わないで、その子供の為に生きていく。それが逞しさだよね、人間の。愛している人に死なれたら、悲しい悲しい、私も死んじゃうって言うんじゃ、人間として駄目だよね。
遺された子の為に、またお父さんが素晴らしい人だったんだよってことを伝えるために、逞しく雑草のように、踏まれても踏まれても、生きてゆける雑草、それが本当の花だよ。それは何の花なの?普賢に咲いた普賢花なんだ、っていう思いで書いた。
それは金子みすゞも同じですよ。負けちゃいけない、逞しい女性を描きたいんです。自殺したから弱い女かと、世の中全部、可哀相可哀相、いい詩を書いていたのにって、違う。子供を助けるために死んだんだ、あの時代にね。その逞しさにみんな気付かないで、可哀相可哀相だけで終わろうとしている。勿論、『CHANCE』にもしつこく書いているけど絶対死んだりしちゃいけない。
もうほぼ「こだまでせうか」の台本は出来上がっていたんだけど、どうも今一つ…って思って乗った稽古場に向かうタクシーの中で、〜明るい午後の陽射しの中、弔問に駆けつける人達の傍らで、表を無邪気に走り回っている娘、ふさえの姿が其処にあった〜"葉っぱの赤ちゃん"に続く、この2行を15分で考えた。
人が死んでも朝刊が来て、牛乳配達が来る。三歳や四歳の子供は、自分の母親が死んでも分からない。いっぱい人が来たら、お祭りだと思う。死んだと思っていない。そのはしゃいでいる姿が痛ましいじゃない」
また「"普賢復興支援コンサート"の中に出て来る鎌原村の物語が最近話題になっていますね」と聞かれると
「以前にみんな(自然会の合宿)で行った、小さな神社なのよ。浅間山が噴火(天明の大噴火)して、90何人だったかな、神社の階段を駆け上がった人だけ助かって、あと全員土石流で死んだ。その時に自分だけ駆け上がれば助かったかもしれないのに、母親を背負った娘が階段の中で呑みこまれた。二百何十年階段ごと埋もれたままだったのが、最近になってそのままの形で二人が掘り起こされたことで、随分話題になったよね。
私の(コンサートの台本)が全然違っているのは、あと三段ってところで呑み込まれたってしているけど、本当は階段の下の方だったんだけど、ドラマチックに変えた。
でもそれはついていい嘘なんだよ。より感動的にする為に。捏造でも何でもない。膨らませただけ。細かいことは違うけど根っこは一緒」
"99 哀しみの瞳"がとても気に入った、と仰って下さった女性とその御主人には会長はこんな風に。
「まさしく貴女にあっている。向けられているのは亭主、見詰めているのは貴女だ。文句言われないで、哀しみの瞳を向けられちゃった時、どうするか。
気が重かったんだよ。嫁女の方が。この人とどうやって生きていこうかって悩みすぎた。それががんになった。二人のせいじゃない、亭主のせい。オレも悪かったけどお前にも非があるって言っている間はダメよ。器が小さいとか大きいとかの問題じゃない。上から目線で喋るとか、そういうんでもない。愛ってのはそんなんじゃない。愛してるってことは全てだから」
「この本はブログを集めただけだけど、本になるもんだね。
朗読しても長さがちょうどいい。2頁がしつこくない。本にしようと思って書いたら、こうならない。ブログだと思うからだね。エッセイ集だな、言ってみれば。
こんど長編小説に差し掛かるけど、『もう一つの戦争(仮題)』これは事実に基づいて書かないとならないから、大分あとになるかな…。
書くって辛いこと、何故なら孤独でしょ。喋りながら書けない。人間好きだから、人と喋っていたいから」
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