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病は克服できる


復興への道


コミュニケーションの輪


愛ある故に




●幸福のプレゼント  東  隆明の人生相談

    ●家庭内の悩み・・・根本から解決しよう・・・
    ●どんな仕事に就いていいのか分からない
    ●リストラ、失業などで職場を失ったら
    ●恋人が出来ない・・・コンプレックスなんてとっとと捨てよう・・・
    ●結婚出来ない・・・人を愛する人に・・・
    ●色んな人生に触れ魂を磨こう
    ●人は何の為に生まれて来たのか
    ●愛は地球を救う・・・私と共に・・・
      コミュニティネットワーク自然会のあゆみ

家庭内の悩み 根本から解決しよう

  家庭内暴力、不倫、アル中、いじめ、不登校、ひきこもり、万引き、摂食障 害、etc,etc・・・こうした様々な問題の根源はほぼ一つであると言ったら、皆さ んは驚かれるだろうか。
  自然会の活動の一端をご紹介する意味も含めて、これから会報(H8〜H9 チャンス)の一部を掲載しようと思う。彼らは自然会のコミュニケーションの中 で長年抱えてきた難問の本当の原因を知り、そこから目をそむけず、自らの努力によって、幸福を 克ちとったのである。

皆、真剣に聞き、語る

  断っておくが自然会は宗教ではない。入ったからといって、それだけでどうな る訳ではない。自分で努力しない限り何も変わりはしない。何も解決しない。 天は自ら助くる者を助く。

▲92年鳥取合宿にて

宮崎県 Yさん
  Yさんは母親が入った事がきっかけで自然会を知った。最初は「母が行くの は勝手だけど、私は巻き込まないで」と思ったそうだが「口だけでなく母が変 わり」すっかりはまってしまったのだそうだ。Y家は夫婦関係を修復し、悩み のタネであったガンタレ(不良)長男を更正させた。手記はその娘さんから寄 せられたものである。

  ・・・あんなに暗く、帰るのが嫌だった家が、なんとなく家族っていいナって思え るようになったからだと思いますが、さすが母は強しですね。父が浮気して家 を出て、そしてぶらりと帰って来て・・・そんな父と(まあ母も悪かったにしろ) ごちゃごちゃはあったが父が仕事で帰ったら毎日、足、肩を揉むんです。今で もそれは続いていますが、最初は揉むのが嫌だったろうナってすっごく、きつ かっただろうって、そんな母を見て来て、この母の元に生まれて来て良かった、 初めて母の事が好きになったように思えます。と言うのも小さい頃から怒られ たり、叩かれたりで怖いという思いしかなかったからです。
  今では互角にケンカやり合ってますけど、楽しいですよ、大声で言いたい事 を言い都合が悪くなれば“クソババア”相手も負けずに“行き遅れ”“貰い手 のない情けないやつ”思いっきりけなしあう。でも後には残らないから、すっ きりします。

宮崎県  Sさん
  私の家内が昭和60年に倒れた事が東会長との出会いに繋がったわけですが、 会長に出会うまでは原因が自分にあるなんて一度も考えた事など無かったし、 酒を飲むけどそれで問題をおこす事もないし、いろいろな遊びをするでなし、 どちらかと言えばいい夫(?)じゃないかと思っている位でした。
  それが会長から原因は「あんただよ」と言われたのは夢にも思わない一言で した。その一言が頭から出たり入ったりの生活が続き「あんただよ」の一言が どうしても納得・理解できない日々が続くと、本当に俺に原因があるのかなぁ ?と自己中心になり、家内の不自由な体への苛立ちから、悪態暴言を吐いたり、 ある時はカッとして、手を挙げたりした事もありました。そうなると自分の勝 手から自然会に行ってもどうにもならん(依存心)原因は俺ではないのだから、 いや、逆に俺は子供の面倒もみ、家内の面倒もみ、ちゃんとやっているのだか ら、との思いが強くなり、自然会から足が遠のく様になりました。・・・その後S さんは五年ぶりに復活して・・・自分の考えの固さ、狭さ、なんと言っても相手を 思う「心」が無かったんだなぁと思うし、相手を認める「心」が無かったんで すね、言葉で分かっているつもりだったのに。

  その後Sさんはさらに夫婦関係を見直し、奥さんは見違えるほど元気になった。

京都府  Mさん
  ・・・28歳で家庭を持った。子宝にも恵まれ、親の為、子供の為、仕事の為と自 己満足し、妻の立場、考え思いも遮り、物を買うことで満足をすり替え、教育 は母親に押しつけただただ、自己満足の父親を十年以上も演じてきました。満 足しているのは自分だけで、女房子供たちはそんな夫、父親の顔色をうかがい 不信感を抱き続け、他人の幸せどころか、我が家に火がつき、深まる溝が出来 ているとも知らず、ますます傲慢で身勝手な私でした。
  そんなある日、勝手で短気な親の行動から、息子の冷静な返 事に腹を立て、息子に向かって「誰に物言うてんねん」とタンカ を切ってしまいました。「しまった!」と思いましたが、時、 既に遅し、振り上げた拳の下げ方が解らず、ただ「悪かった」と謝るのが精 一杯でした。でも親子の溝は深まるばかりです。
  空しさと情けなさが入り交じり、ここで息子との核心を解決出来なくとも、 自らの過去の「思い違い」を改める糸口にしない事にはと考え、親子で旅行に 出かけました。自然会の宮崎例会でした。息子と直接話合う事も出来ず、沈黙 の時間が過ぎていきます。息子は物心がついてから、自分、母親、妹に対する 父親の「思い違い」を直接父親に言えなかった、いや、言わせなかった事をた くさんの人の前で喋った事で息子が許してくれました。

  ようやく振り上げた拳を下げることができ、親子いや男同士として、新たな る方向への旅立ちの出発点を見出すことが出来たのです。
  最近では家族で麻雀、競馬に一喜一憂しながら、想いを深め合う、今日この 頃です。

和やかな雰囲気
▲同じく鳥取合宿で会長とパチリ

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  ここまで読んでもらって、何が言いたいのか分かって頂けたろうか。
 “早く帰って女房と話すのが楽しみ”それで夫が酒乱になるなんて、有り得な い。夫婦がいつも明るく感謝しあってて、隠し事も無いって言うのに、子供は どうやって“ひきこもる”のか、有り得ない。
  その事を分かって欲しかったのである。
  夫婦は思いっきり本音でぶつかりあえる関係でなくてはならない。上面だけ 取り繕うような浅いコミュニケーションしかとれない関係だから、様々な問題 行動や病気を生むのである。
  夫婦が触れ合えないのに子供と触れ合える事は有り得ない。夫婦がいがみ合 ったり、憎しみあったりすると、子供は必ずストレスを感じ、淋しくて、自分 の方を見てほしくて様々な深刻な問題行動をおこす。いじめもそのひとつなの である。子供を犬や猫と一緒にしてはいけない。食べ物とオモチャだけ与えて おけば勝手に育つと思ったら大間違いである。犬や猫でもスキンシップしてや らないと寄りつかない。まして多感な子供は愛に飢えているのである。
  責任は夫婦にある。学校ではない。どちらか一方でもない。二人して反省し て夫婦のやり直しをしなければならない。そうしなければ永遠に解決がつかな い。
  妻は夫の持ち物ではない。感謝しあい、深い信頼で結ばれたパートナーであ る。夫は給料を運んでくる鳩ではない。いつも互いを磨きあう鏡であり、夫婦 は一心同体でなくてはならない。愛を深め合って一生添い遂げるのが夫婦なの である。その努力を放棄して離婚し、又別のパートナーを探すなど、もっての 他なのである。


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どんな仕事に就いたらいいのか分からない

  「どんな仕事に就いたらいいのか分からない」と言う若者が増えているそうだ。 分からないなら自分で探さなければならない。占い師に聞いたって仕方ないの だ。
詳しくは私の著書に 「天職」というのがあるので読んで欲しい。
  何をしていいか分からないから、とりあえずソコソコ条件のいい会社を選び、上司や待遇の文句を言いながら、とりあえずソコソコの仕事をして、年をとっていく・・・人生そんな事でいいのか、メシが食えれば良いのだろうか。
  早くから自分のやりたい職業に目覚め、全く迷わない人もいる。ハタ目から見たら何が面白いのかと思う修業を地道にコツコツと積み、給料が安かろうが、仕事がキツかろうが、頑張り通す。そしていずれはその才能を開花させる。
  違いは何か、一言で言うと、そういう人は前世から続きの職業をやっているのである。分からなければ、ふーん、そんなものか、で今はいい。私達は苦労して、その仕事を探さなければならないのである。どんな仕事でも、前世からの持ち越のない事をするのは至難の業なのである。
  残念だが、探し方やそれぞれの職業の役割について細かく説明したいが、 スペースが無い。
  ほんの一端だけ触れれば、まず、その仕事が本当に社会の益になるもので なくてはならない。これは前提条件である。儲かりゃ何でもいいってもんじ ゃない。不景気だから仕方ない、等と考えているとしたらとんでもない事である。
  「理由が無いんだけれど、なんだか好き」というのは多くの場合、前世からの引き続きの感覚である。だから「儲かりそうだから」という頭で考えた理由より「何故か好きだから」という理由で選んだ方が、結果として儲かりやすい。頑張れるからである。
  多くの場合そこまでの人との出会いの中にヒントが潜んでいる。よく思い出してみよう。
  学生期にガリ勉なんかしていないで、色んな友達をつくり、色んな意見を聞き、語り、色んな本を読み、色んな世界や人生を垣間見て、自己の人格を高めておくことも大事である。
  しかし、冒頭の“分からない”と言う人の中には困った人達も居る。働く意志が欠如している、ただ楽がしたい輩である。そういう輩はバクチに夢中になったり、銀行強盗を働いて社会の害になり下がる。
  仕事とは喜びである。苦しい仕事の中に喜びがある。その喜びを知らない人は可哀想だ。
  「ありがとう」なんて言われたら天にも昇る幸せを感じる仕事、その仕事は、その人を育て成長させる。

マイクを持って話す会長

  今の仕事に疑問、迷いのある人は短期間にトコトン本気で打ち込んでみよう。 そうすれば答えは必ず出る。
  その資質や環境のすべてが生かされる仕事、魂のときめきを感じる仕事、そんな仕事を探し出せたら、またはもし、今就いてい るとしたら、その人は幸せである。人の為に明日あると思わず、全力投球して ほしい。やがて、もっとグローバルに世界人類の為に尽力できる素晴らしい人 材に育っていくに違いない。

▲復興と追悼の夕べ
 95年復興ビルにて

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リストラ、失業などで職場を失ってしまったら

  無事にいく人生だけが素晴らしい訳ではない。マイナスにばかり考えず、よ し、チャンスだ、この機会に自分のここまでの人生を見つめ直そう、家族との 絆を見つめ直そう、その為の“いい時期”だったのだ、と前向きに考えよう。
  自分は家族にとっていい夫、いい父親だっただろうか。
  家族の心はしっかり通じあっているだろうか。
  忙しい時には仕事に夢中になり過ぎて、家族との触れ合いは少なくなりがち である。ここまでのお礼に家族サービスをし、コミュニケーションに努めよう。予算が無いなら、無いなりに出来るはずである。
  家族の愛と結束さえあれば、何があっても乗り切っていけるのである。
  家に例えれば家族は土台である。この土台がしっかりしていないと、どんな に表面がキレイでも壊れてしまう。たとえ仕事が順調だったとしても、家族の 心がバラバラになってしまっていたなら、必ず何らかの不都合が起こり、それ が仕事に支障をきたす。それを忙しいからと言って、いい加減にフタをすれば、 やがては仕事どころではない事態に必ず発展するのである。
  出世やお金だけでは、家族に真の喜びと幸福を与える事は出来ない。会社に 本当の利益を齎す事もまた出来ないのである。

  さて仕事の話に戻ろう、ここまでの仕事を顧みてセルフチェックしてみよう。 次の仕事の役に必ず立つはずである。

1、その会社の事業内容は本当に社会の益となり、人に喜んでもらえるものであったか
  (Noであれば、縁が切れた事はもっけの幸いである)
2、お客さんや同僚や取引先、その仕事を成立させてくれるすべての人に感謝を感じ、   お客さんに喜んでもらえる様、尽くしたか。
3、上司や部下の愚痴や不満を言って自分を棚に上げてはいなかったか
4、出世や認められることばかり、考えてこなかったか。
5、少しくらい仕事が出来るからと鼻にかけたり、メンツにこだわるあまり、人の忠告   を無視したりしなかったか。
6、自分の会社、自分の部、課だけの利益を優先し、他を押し退けたりしなかったか
7、その仕事に生き甲斐を感じ、懸命に働き、その職場の役に立ち、苦しい仕事の中に   も喜びを感じる事は出来たか

  NOがあっても後悔するのはやめよう、済んだ事である。反省してやり直そう。 後悔は後向きだが、反省には明日がある。災い転じて福となすことは必ず出来る。何故なら、家族という強い味方がいるからである。


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恋人が出来ない …コンプレックスなんてとっとと捨てよう…

  あの人と私の鼻ではどっちが高いかしら、あの人とはどうかしら・・・ あいつと比べれば俺の収入は少ない、でもあいつよりは多いんだ。
  いちいち人と張り合って、勝っては得意になり、負けては卑屈になる。あまり にちっぽけ過ぎる。
  人と自分は比べるものではない。自ずと違う道を歩んでいるのだ。
  幼少期のコンプレックスがバネになって頑張り、つまずいては人に助けられ、 人の大切さを知り、成功して気付いてみたらコンプレックスなんてどっかに吹っ 飛んでいた、等という話は良く聞く。コンプレックスが成長剤として良く作用し ているのである。
  しかし、いい年をしてまで、何でもかんでも人と張り合って勝ちたい なんておかしい。自己愛が強過ぎる。

  我々はどんな条件にあろうと、どんな境遇にあろうと最高に幸せなので ある。人と自分を比べるという醜い心を捨てれば立ち処に幸せになれる。
  人の値打ちは心にある。人を愛する事の出来る人は素的なのだ。輝いている。 これに勝る魅力は無い。

懐かしいパブ東店内
▲初期の東京例会
結婚出来ない …人を愛する人に…

  婚期が遅れ、嘆いている人がいる。遅らせているのは本人である。不満感を持 つ事自体、自らを不幸にする。自我が強ければ強い程、婚期が遅れる。当然である。自己中心の人と結婚したがる人はいないのである。嘆かない事である。嘆けば、余計醜くなる。愛してもらおうという欲を捨てなければならない。人を愛する人にならなければならない。自らを成長させないで、人にばかり要求するから、逃げられるのである。本当の愛は、与えるものであって、要求するものではない。 結果として好かれ愛され、結婚へと繋がるのである。
  結婚は結果であり、目的ではない。結婚を前提にする事自体、打算である。そういう結婚は必ず破滅する。必ず不幸になる。自らの欲が、自らの不幸を招くのである。


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色んな人生に触れ魂を磨こう

  私は夜な夜な巷に繰り出して酒を飲む。酒だけが飲みたいのであれば自動販売 機で買って飲めばよいのだが、そうではなくて、そこには毎日毎日、素晴らしい出会いがあるからである。色んな人生に巡り会える。想像も出来ない、予測のつかないドラマに遭遇する。シナリオの無いドラマが展開されるのである。
  ある時は屋台の腰掛けに、ある時は小料理屋の畳の上に、ある時はスナックやバーのカウンターに、ある時はサロンのストゥールに、ドッカと腰を据え、呑んで喋って唄って笑う。肩を並べた初めて会った人と、いつしか十年の知己の様に語り合う。その俄かに出来た友人のドラマが浮かび上がる。そのドラマにどっぷりと浸り込み、酒を汲み交わしながら泣き、笑う。
  店の主人やママさんの、温かき接待が客と客を結ばせる。美味しい酒が手伝って、人と人とが融けてゆく。夜の巷は、最高の人生勉強の場である。有難い、為になる本を百冊読むよりも、たった一日、たった一夜の酒の方が身に着く、勉強になる。
  諸君も今日から始めたまえ。職業やしがらみや気の合った仲間だけでは狭い。小さな自分の殻に閉じこもっていないで、自分の足で歩きだそう。話が苦手な人でも酒が飲めない人

▲90年草津でのミニ合宿

でも大丈夫。だんだんお喋りになってくる。だんだん飲めるようになってくる。人間嫌いでもどんどん人が好きになって、どんどん友達が増える。
世の中は広い、素晴らしい人はいっぱい居る、そういう人達とコミュニケーションの場を持って、勉強しようではないか。
 人生はドラマである。ドラマは感動である。色んな人生に触れ、人の尊さ、愛の素晴らしさを知り、魂を磨いて行こうではないか。


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 人は何の為に生まれて来たのか

 人が「幸福だなー」と思うのは、どんな時であろうか。濡れ手に粟の時であろうか。人と戦い、勝った時であろうか。人と比べて、自分の方が優っている時であろうか。恨みや憎しみを晴らした時であろうか。人の不幸に出会った時であろうか。
 もし、そんな事に幸福を感じるとするならば、それはその人にとって、不幸の始まりである。
 濡れ手に粟の時があれば、その時こそ危険なのである。そういう目に遭うと、人間は有頂天になる。そして、柳の下の泥鰌じゃないが、二匹目を求めるようになる。
 そして、落胆して地獄に陥ちる。元も子も失くしてしまうのである。自我欲という、己自身が製造した凶器に殺されるのである。
 人と戦い、勝って幸福を感じるとするならば、勝ち続けなければならない。負けた人の妬みや恨みを買って、生き続けなければならない。そして、神でない限り、勝ち続ける事は出来ない。必ず、負ける時が来る。その時のダメージは、勝ち続けて来た分の何倍も大きい。人を不幸にして得た満足感は汚く、その罪は大きい。地獄の転生を何度も繰り返さねばならない。
 人と自分を比べて、多少優っているからと幸福を感じるならば、人と自分を比べて、自分が劣っていた時のショックは大きく、際限のない不幸に陥る。恨みや憎しみを晴らして満足を覚えるならば、永遠に人を幸福にする事が出来ず、自己の裡に棲む悪魔に苛まれながら、ズタズタの人生を歩まねばならない。
 人の不幸に出会った時、幸福を感じるならば、必ず自分が不幸になり、その地獄のどん底から這い上がれなくなる。そして、誰も助けて呉れない。天からも見放される。
 自然の摂理に逆らってはいけない。自然の恵みに順じ、人は皆、妻を愛し、夫を愛し、子を愛し、親を愛し、隣人を愛し、地球に生きる全ての人を愛し、天に感謝し、生きる事の喜びを識らなけらばならない。
 人は決して一人では生まれて来ない。人は決して一人では生きて行けない。
大きな大きな、大自然の摂理に生かされているのである。その大きな慈愛に融け込み、決して乱してはならない。自己本意の考えや行動が、自然の流れを変え、その営みを破壊する。その罪は大きい。大罪である。必ず天罰が下る。
 私達は、今生に愛を勉強する為に生まれて来ているのである。愛を修業する為に、今生に遣わされたのである。愛が深まれば深まる程、素的になれる。

愛は地球を救う 〜私と共に〜
 今、地球は闇である。我々人間が地球を闇に追い込み、我々自身が自滅しようとしているのである。摂理の巨大なエネルギーが地球を回転させ、人間を共存させ、転生させているのである。
 今、人間は生かされている事を忘れ、天を無視し、自然破壊の道を真っしぐらに突き進んでいる。地獄に向けて超スピードで猛進しているのである。
 今や、世界に真の、ホンモノの、自我を捧げた、愛の深い指導者が皆無の状態である。世界は、地球は正しく闇に、真っ暗闇の暗黒の、恐慌の渦中に包まれているのである。
 我々は地球を、大宇宙の大自然の恩恵を享けた、美しい大地に戻さなければならない。

 我々は我々人間を、共存共栄の美しい心を持った、愛に満ち満ちた純粋な心に戻さなければならない。心無い指導者に頼ってはならない。
 私と共に全力を駆使し、皆で切磋琢磨し合い、素晴らしいコミュニケーションを創り出していこう。私と共に人の為に念じ、人の為に動こうではないか。
 貴方がた一人一人の実践が地球を救う。

▲94年普賢復興支援コンサートの最終地、島原文化会館前で記念撮影


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コミュニティネットワーク自然会のあゆみ

  昭和58年4月「実践超能力!YOU…」全国書店発売一ヶ月後の5月、第一回例 会が東京で開催された。その後全国に波及し、京都、和歌山、岐阜、宮崎など各地で支 部発足、例会を開く。本部、支部が主催する合宿も度々行われ、コミュニケーションの輪を拡めた。H3〜H13年、島原復興支援。H14年、名称をコミュニティ倶楽部自然会からコミュニティネットワーク自然会と改称。
H17年、長らく休んでいた月例会を再開、10月には拉致被害者帰還応援歌として「愛ある故に」をリリース。その活動に新たな頁を拓くこととなった。



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