平成十四年十月十五日、一時帰国という形で帰還した五人の人達。生きていた、本当に生きていた。二
十数年の拉致生活の後、やっと故国、故郷に辿り着いた五人の人達……。
戦争は終わっていない。戦争は未だ終わっていないという事を痛感させられた瞬間である。我が国が彼の国にした悲惨がなければ、その後に百人以上とも思われる人達が拉致される事は無かったであろう。もし、そのような事があっても救い出すのに、こんなに長い年月は費からなかったであろう。
そして三年、一人も残らず無事に帰還出来るのは何時の日か。国だけに任せていては、何時になるのか
計り知れない。国民全体が必死になって叫び、祈り、彼の国に訴えなければ、その日は近付かないだろう。
他人事ではない。皆、自分の子、自分の兄弟と思わなければ……。
戦争とは、こうして何時までも後を引き人を不幸にするものなのか。これ以上、戦争を起こさせてはならぬと痛感する。
昭和二十年。我が父も満州に於いて、参戦して来たソ連兵に捕まり、シベリアに抑留された。父はその戦争に於いて一人も殺さず、一発の弾も撃たなかったが、彼の父が大戦直前まで首相をしていた事もあり、ブルジョアジー侵害罪とか訳の分からない罪名を付けられ、長きにおいて極寒の地に縛られた。講和条約に依って、重要犯罪者とされた人達も帰された最後の便にも彼の姿は無かった。工作員になれば帰してやるという交渉を拒否し、甘んじて毒の注射を受けたのである。昭和三十一年、秋の事である。
異国の地で故郷に帰れる日を待ちながら死んでいった無念を想うと、彼の国でその希望を捨てずに必死
で生きている人達を何とか救わねば、という思いが胸を焦がす。
死して帰らぬ父と、帰る日を夢みて必死に生きている異国の同胞に、又、それを待つ家族の人達に、私の詞「愛ある故に」と「人生は幻」を贈りたいと想う。拉致被害者帰還応援歌として。
東 隆明
東 隆明の出生については
彼の父を題材にした「夢顔さんによろしく」西木正明著(文藝春秋社刊)を読んで頂ければ詳しく載っています。又、劇団四季公演「異国の丘」(浅利慶太演出)もこの「夢顔さんによろしく」を題材にしたものです。
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