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人には必ず出会いがあり |
●復興への道 自然会島原奮戦記 |
●原点…・・・今、何故島原なのか |
原点…今、何故島原なのか |
地震、津波、水害、テロ…未曾有の天災、人災に次々見舞われ、その都度世界は驚愕し、おののきに包まれます。TVやインターネットを通じて地球の真裏からでも悲惨な映像が連日届けられ、新たな災害が過去の災害の記憶を人々からかき消していく…。当事者は痛みも苦悩も、何も終わっていなくても。 |
励ます会〜 長き道程の第一歩 | |
●平成3年10月、9名の仲間と共に島原に乗り込んだ東隆明会長は、当時の鐘ヶ江市長と会談、心の復興に尽力することを約束します。 | |
●大野木場小学校慰問 |
▲校長先生、教頭先生と歓談する東親子 |
ルが受け入れるよう取り計らわれ、次々分宿を始めていました。そのホテルの大広間を貸しきり、「励ます会」と銘打ち、寄宿中の皆さんをお招きして毎夜大宴会を催します。 |
「……皆さん、私達の励ます会には、マスコミは一切入れてません。市や国の人も入ってません。皆さんだけの慰労会なんです。聞けば、皆んなで酒を汲み交わす事も、談笑する事もなかった四カ月です。暗く部屋に籠もっていても亡くなられた人は帰って来ません。焼けて、流された家は建ち直りません。喪中は終わった。今日で終わりにしましょう。飲みましょう。言いたい事を言いたい放題言いましょう。今夜は思いっ切り語り合って、大いに笑い、大いに泣き、腹の中のしこりを吐いてしまいましょう。そして、明日からは元気に、誰にも遠慮のない、思い通りの人生を歩んで頂きたいと思います。なりたくてなった被災者ではない。遠慮して小さくなって生活する必要は何処にもない。明日から復興の第一歩を確実に踏み出して頂きたいと思います。後でゆっくり皆さんのお話も聞かせて貰います。先ずは腹拵えです。遠慮なくやって下さい」 あちこちで、ビールの栓が勢い良く抜かれる音が聞こえ、宴席が始まった。 | |
▲九十九ホテルで。楽しそうに唄って踊る被災者の方々。 |
始めは遠慮がちにコップを差し出していた人達も、飲むに連れ食べるに連れ、丸くなっていた背も伸び、白い歯が見られるようになって来た。あちこちで笑い声が聞かれ出した。 |
町中の被災者面してる人達とは違う。インタビュー馴れしてる人達とは違う。ホントの悲しみを持った人達である。代々護って来た家や財産である。コツコツと積み上げて来た身代である。培って来た団欒を、一瞬にして失くした心情は、その当事者しか知る由もない。 |
●普賢岳の絵葉書 |
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狭い仮設では家財道具すら満足に置けません。家族が肌擦れ合う暮らしですが、広い家で一人一部屋を使っていた被災前より、必然的に家族との会話が増え、それを子供達は喜んだそうです。 |
●島原文化会館で講演会。演題、”災害と復興”観客7名。 | |
●バザーを各地で開催。
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▲イザナギバンドらと共に |
親子クリスマス会 感動の夜は更けて | ||
平成3年(1991)12月22日。九十九ホテル、レインボーホール。 | ||
兎も角、その夜の事は生涯忘れる事はないだろう、私達も被災者の人達も。 |
普賢花・島原慕情 唄を通して普賢復興支援を | |
この2曲は全国の人に聞いて頂き、口ずさんで頂くことによって島原の人達の励みになり、復興と活性の一助となるようにとの願いを込め、東会長が書き下ろし、レコード会社に働きかけ、平成5年10月全国発売の運びとなった曲です。また売上、印税、共に島原復興の為に使われました。 |
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復興ビル創設 自立復興を目指し、人々のパイプ役に | |
▲復興ビル全景 |
新しき年を迎え、皆様の健康と復興に向けてのより一層の努力と成果を願い、またその為の応援や助力を復興ビル一同、全力を挙げて頑張る所存です。 |
大火砕流以来、真綿で締め付けられる様な苦悩と焦燥の中で、手足をバタつかせながら活路を見出そうと頑張ってこられた皆さん、今年こそ行動の年です。
被害の度合いや職業の違いを比較することなく、個人差を乗り越え、皆が手を繋ぎ一緒に島原全体の復興の為に起ち上がらなければなりません。 |
普賢復興支援コンサート 皆んなで救おう、被災の地 | ||
この普賢復興支援コンサートは平成6年4月4日、大阪国際交流センターを皮切りに全国主要都市37会場で行われました。(一部会場を除き入場無料) |
▲舞台背景は普賢岳を模した絹布。 | |
開催地のマスコミ各社より後援を受け、度々新聞やTVでも紹介され、また多くの人の尽力があったにも関わらず、入場者の少ない会場もありましたが、その反響は大きく熱いものでした。 | ||
「昭和二十年、大戦に敗れた日本は焦土の中から、復興を目指して立ち上がった。道路が整備され、ビルが建ち、目覚ましい発展を遂げていった。そして今、世界一の経済大国にのし上がったのである。然し、物理、物理を追いかけた結果、多くのものを失くしてしまった。 | ||
地元の人々の出迎えを受け、ゴール! |
2ヶ月にも及ぶコンサート・ロードを無事終え、
あの忌まわしい火砕流のあった日から丸三年目の平成6年6月3日、最終地、島原にゴール。 |
皆の心を一つに 自然との共存とは何か |
自然会の島原復興活動の一部始終をここまで読んでこられて、余程の大金持ちか大金持ちのスポンサーが居るように思われたかもしれませんが、残念ながらそうではありません。 |
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その後も復興ビルは地元の人々のパイプ役を務め続け、平成13年6月3日、その幕を下ろした。 |