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  全国のニュースでは、九州地方は大雨での洪水や土砂災害に見舞われています。この災害は、対岸の火事ではない事に気付かされます。
  東京直下型地震がいつ起きても不思議ではないと囁かれている今日この頃。音羽村も例外ではない……。明日は我が身だと思います。

                                 音羽村会(東京月例会)
                                 平成24年7月1日(日)  目次に戻る

  夏至が過ぎ、日暮れを忘れた甲州屋ですが、今日は小雨混じりの曇り空。
  今宵は村長が、皆さんにご賞味して頂きたく、手打ちそばの仕込み中。そこへ一人、また一人と集まり全員集合(会長以外)
  一時間後「ハロ〜、みんな元気?」と会長登場で、例会の始まり始まり。

●肉体に終わりはあるが、魂は永遠である

  早速の爆笑噺が取り巻く中。会長が、
 「皆さん、グラスは満たされていますか。それではカンパイ」
  皆さんグラスを突き合わす。そして会長が、
 「享年86才、東 美代子が今朝8時に大往生で逝きました。だから本当は献杯なのよ」
  そして皆さん、
 「ここでお酒を呑んでいてもいいのですか」
  それに対して会長、
 「今カミさんが和歌山に居るから大丈夫。おとといの金曜日にカミさんと入れ代わったのよ。その時お袋に、例会があるから東京に帰るよって言ったら、三才の子供のようにニコッて笑って、分かったって言ったのよ。あんなお袋の顔を見るのは初めてだったね」
  皆さん、
 「さすが会長。天啓を享けた人は、どんな時でも泰然自若でいられるのですね」と、口々に。
  その後、村長お手製の手打ちそばを啜りながら会話が始まる。
  そんな中。食道癌で亡くなった実さんの話が始まる。そして兄の三浦さんが、
 「ミノルは末っ子なのに、お袋の事を全部任せてきました。ミノルが末期癌と知り、会長にお祓いをして戴きました。例会にも参加して、自然会のメンバーと出会い、明るく生きて旅立ちました。
  僕もそうなのですが、冷静にミノルを見送る事が出来ました。これも会長と自然会のメンバーの御蔭だと思います」
  そして会長が、
 「だって、こんなアホな話しかしないメンバーだから明るく逝けるのよ」
  それに対して久我さんが、
 「お言葉ですが、こんなアホなメンバーとは、いかがなものでしょうか」

  今宵は、弔い話を明るく、しみじみと語り合う。そんな例会になってきました。
  そこへ一年ぶりに参加の工藤さんが、
 「私の前の女房は、意識の無いまま逝ったんです。だから病室で、子供に死と言う言葉は口にするなって言ったんですよ。まだ魂はここに居るから」
  それを聞いて会長が、   そして毎回静岡からお越しの水野さんが、
 「自分の母親は、くも膜下出血で即死状態でした。
  ああしてあげたかった、こうもしてあげたかったと、犇犇しています」
  そして会長が、
 「じゃあ、お袋さんとの思い出話を聞かせてよ」
  水野さん、
 「自分には良き理解者でした。東京の大学に行って一人暮らしをしていた時、当時お袋は、静岡で保険の外交員をやっていました。仕事で東京に来る時は、いつもキヨシの事が心配で、キヨシの事を想って東京に来るのよ、と言われた事を思い出します」(水野さんの涙ながらのスピーチでした)

  最後に、甲州屋ご夫妻のオノロケ話で幕切れになりました。

  今回は、石川県は金沢から、斎藤さんが久々に参加されました。

                               サダ(三谷定英)





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