京都 祇園も梅雨が明けました。大雨の被害が、薄らいだと思ったら、酷暑の為、熱中症で救急搬送される方が、相次いでいると聞きます。自分自身の体調管理と同じく、子どもたちや周りの人たちの様子にも心配りできるようにしたいものです。
この日会長が、例会会場建物に到着されたと同時に目の前に世界第2位(第1位は、会長の奥様)の美女が、現われたそうです。
会長『透き通るような肌で、粋な振る舞い。見とれてしまった……。今日のテーマは、「生き」「活き」「粋」プランにしよう!』
いつもながらの美味しいお料理とお酒を用意して頂いて宴が、始まりました。
会長『人間、「粋」に生きようと思ったら……まず生活に困っていて「粋」は、できないね。
「生き」って事は、「衣・食・住」足りて初めて、生きている、歩ける、動ける。他人に迷惑かけていないのが、ホントの「生き」。そうじゃない人は、病院に入っていて生きていないよ。管(くだ)を着けられたり、目が見えないとか、聴こえないっていうのは、生きていて、生きていない。でもそういう人たちの方が、立派に生きているんだよね。不自由さを知っている。じゃ、ホントの「生き」っていうのは……値打っていうのは…… その有難味も解からん奴は、生きてないと思うよ。』
蔦谷さん「命の大切さですね。命に感謝やね。」
会長『それを「感謝」っていう言葉で言うと浮いてしまう訳や。どこでそれが、嬉しいのか。具体的に出てきた時にあっ!「生き」っていうのは……。
生きていて感謝しなきゃいけないなって言っているのは、言葉でありスローガンなんだよ。
「生きている」っていうのは、こうやって利害も何もなくて喋れる……。
「生きている」っていうのは、普通「衣・食・住」だよね。喋れるとか歩けるとか……病気しない限り、まず「感謝」していない。忘れているって言うか、初めから感じていない。病院に入って初めて反省する。ベッドに寝ていて天井見ているだけだろう。外へ出たらだめ、タバコ吸っちゃダメ、酒も呑ましてくれない。9時になったら消灯。病院も刑務所といっしょ。
食事も味気のないものばかり……天罰くらっているわけでしょ。だから早く良くなって出たいと思う。
それを感謝してない奴は、やっぱり戻ってくるんだよな。喉もと過ぎたら……って。
「生きている」って事は、環境を含めて「生きている」って事だよね。ひとりでは、生きていない。喋れる事、見える事の有難味は、ほとんど感じていないよ。毎日の中であたり前やから。それでも俺らは、良いと思う。そんなの、仏さんでも、神さんでもないのに、いきなり「元気な事が有難い」って言うのは、病気した奴が、言うのよ。知らない奴は、そんな事感じていませんよ。だから親に反抗もするし。反抗する元気があるのよ。親父が「勉強しろ!」って言うと「うざっ!」そんな事、俺らが言われたら死刑にしてやろうかと思うよ。この野郎「生き」で元気だからよ。もし目が不自由であって他の健康な、兄弟よりも手を掛けて大事にしてもらっていれば、親父にも感謝するだろうに。
不自由がなくて「感謝」できれば、なお素晴らしいと思うよ。
コミュニケーションが、下手な人は、いくら頭がよくて、勲章をもらっても……何かの発見をするとか、研究の成果があっても自分の家庭で嫁さんと喋った事がない人が多い。なぜならばそういう事に没頭しているから。コミュニケーションがない。それは、「活き」じゃないね。家族とコミュニケーションできない人が、誰とできるのよ。
じゃ、そういう人を講演に呼ぶと、専門の話しかしない。半分は、寝てしまうよ。興味ある人は、勉強になるかもしれないけれど、興味なかったら何を言っているのか解からん。……って言う事は、「活」がない。「舌」が、みずみずしい(「?」さんずい)事を「活き」って言うんでしょ。イキイキとしている「活き」って言うのは、言っている事が人を豁然(かつぜん)とさせる。自分が、「活き」じゃない。そういう力を持っている事が、「活き」だと思うんだよ。』
高橋さん「「生き」と「活き」で「生活」でしょ。」
会長『そう言うことだろ。だから、全部物理が加わっているじゃない。
じゃあ、最後の「粋」は、「米(コメ)」……やっぱり物理だね。だけど、横の「卆」は、卒業の「そつ」と読む。財界人や経済学者は、絶対物理から離れないじゃないですか。どうやったら経営がうまくいくとか、ちょっとだけ頭の良い奴だけが、経営の神様って偉そうにやっているのだけど、そんなもんアホやで。米(コメ)から離れていない。米(コメ)から卒業するのを「粋」って言うんじゃない?それを言った人が、「粋」だなって言われるんだよ。
この人「先生」で、会って話をしたら明日から生活が楽になるとか、みんなそんなのでセミナーとかやっているんだよ。それは、「粋」じゃない。そんなものを外して。「生きていくエネルギーをもらう」っていうのは、物理とは、関係ないからね。
この嫁の為なら死んでもいいとか、この息子の為なら何を捨ててもいいって言うような事を言ってくれる人が、「粋」じゃない。この家族を支えて行く。なぜならば愛されているし、愛しているから、こんなもの乗り越えられるよ。何が必要なの?「馬力(エネルギー)」よ。こいつの為なら死ねるって言う「エネルギー」もらっただけで、なんとかなるね。捨て身になれる、米(コメ)を捨てる事が、「粋」!』
翌日の「米(コメ)」の為に今宵は、一次会で早々に失礼しようと思ったのですが、会長から『ビシッと30分だけ行こうか!』と声を掛けていただき、30分だけ「米(コメ)」を捨てて「粋」になれました。……かな?
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