当り前に寒い冬であります。当り前に歳を重ね、当たり前に年を越せると思っておりますが、この寒さ、雪、風……様々な事由で予期せずに命を落とされている方が、後を絶ちません。
今年、母上様が急逝されたとお話くださった、あやさん。
あやさん「もう母は、戻って来ないし、どうしようもないし……母に対して悪態ついていたので、出家でもして、供養しようかと思ったりもするんです。」
会長『供養なんていらないの。自分が、確りと一日一日を生きていれば良い。出家というのは、誰の役にも立たないという事。それは、死んでいるのと一緒。
今、生かされていて、お母さんに健康な身体をもらっているんだから、誰かの役に立つことをやれば良いだけでしょ。それが生き甲斐になるんだから。自分の為だけに生きている人は、出家してもアカンね。
誰の役にも立たないのは、人とは、言わないよね。また、生き甲斐も持てないしね。
只、人間って言うのは……ワシが、どんなに今生明死を唱えていても……。
今日、死んでも良いと……、死んでも良いという生活をしていないといけない。それは、嫁に対しても……
嫁が、いつ逝っても……「有難う」と言える。ところが、実際に死なれると、なぜか涙が出る。有難涙もあるけど、寂しいんだね。
寂しがりは、いつもの癖で「おーい」って呼んじゃうんだよね。「あぁ、居なかったんだ」そういうのってあるよね。だけどそれは、不幸でもなんでもないよ。有難味を思い出しているだけだから。』
あやさん「そうなんです。毎日、有難味を思い出しています。」
会長『それなら、お母さんは、良い死に方したんだよ。』
医者が、「もうダメ」って言っていても生き延びる人は、いっぱい居るけど、逆もあるのよ。
医者が、「大丈夫」って言っても、ワシは『これは、危ないな』って思うこともある。暑い夏のこの日に逝くんじゃないかと思うと、ほとんど日にち狂わずに逝くのよね。それは、予測とか予言じゃないのよね。本人が言っているんです。どこかで死ぬ日を……
本人は、気が付いていないね。
亭主が、病気で弱っていて、普段「おい、コラ!」って、お嫁さんのことを言っていたのが、急に「有難う」って言い出したら……、そう言うのを仏心って言うんだけど、「仏」って言うことは、死に心なんだよね。急に優しくなったり、「有難う」って言い出したら死期が近いって言う事だね。』
『皆どこかで、本人が言っているね。気が付いていないね。
「本人が気付かずに言う」……それは、あらゆる所で有るね。人を見抜くとか、洞察力とか言うけどね。
そんなもんじゃない。心で人を見ていると、結構、自分で言っているよ。失敗まで言っている。
『この人の会社、来年潰れるな。』と解る。
それは、自分で潰す方向に向かっているからよ。それが見えてくる。』
あやさん「それが、変わることだってありますよね。」
会長『あるある。それは、どんな友がいるかで変わる。どんな家族が居るかで、変わるじゃない。
だから、やっぱり人間って、自分中心じゃなく、誰かのために一生懸命に生きている人を見たら助けるし、助けてもられるのよ。「自分だけ良ければ良い」って生き方していたら、悪い方向に向かっていると解っていても周りの人は、教えてもくれないしね。「ざまあみろ」って言って、終わりだよ。
「やり残した……」
だからいつ死ぬか解からないのに、知らないから。まだまだいっぱいあると思っているから。
70歳で死ぬと自分で決めていたら、いつ死んでも良いように生きるよな。その70歳を過ぎても、まだ生きていたらその後は、極楽だよね。やることやったんだから、まだ生かしてもらっていたら、「有難い」しかないじゃん。だから天命じゃなくても自分で寿命を決めるのも良いことなのよ。
ただ長生きしたいのか……、目標があるからその歳までは、生きなきゃいけないのか。そうすると天は、味方することもあるよね。それは、何が目的か?ゴルフが上手くなりたいとか、クルーザー買いたいとかだったら、味方してくれないけど、この人を「何とかしないといけない」とか、これでちょっと「人を助けたいな」と思ったときに天は、ちょっと寿命を延ばしてくれるんだよね。
但し、じゃあ、いつなんだと、自分で決めろと。たとえば5年やと決めて、それで出来なかったら、おまえ怠けているんだから知るか!ってなるじゃない。そんなもんやね。』
会長『ご褒美って確かにあるんや。』
私の父親は、亡くなる1〜2か月前からほとんど会話ができませんでしたが、母親は、亡くなる直前まで確りと会話できました。
母「もう遅いで。早う帰りや。嫁さん、子どもらが待ってるで。」
私「そうやな。帰るわ。じゃ。」
妹と付き添いを交代して、病院を後にして1時間ぐらい経った頃……、妹から「母さん、逝った。」と電話がありました。
最後まで会話ができたのは、天から母親へのご褒美?
そう、思っておきます。
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