夏休みも残りわずかになりました。今宵は、「美味しいお料理が食べられる!」と張切っている8歳の娘と一緒にいつもお世話になっている、祇園の「季久」さんに、向かいました。
時折、会長の冗句に笑みを浮かべながら、口いっぱいにお料理を頬張る娘につられて、私も笑って、食べて、呑んで……賑やかな時間が過ぎていきます。
冒頭、初めて参加される、みちえさんに蔦谷さんから一言。
蔦谷さん「会長の話は、100%の内、冗談が99.……」
会長『おいおい、そんな訳ないよ。冗談は、95%ぐらいやでぇ〜。5%ぐらいは、真面目な事を言っています。残りの95%は、くだらん冗談ですけど〜』
皆さんのスピーチは、会長の95%のくだらない冗談と融合して進み、残り5%の一場面……。
せつさん「友達が病気で亡くなったんです。亡くなる少し前にお見舞いに行こうと思いましたが、その友達のご家族から「病状が、かなり悪くて面会できないので、良くなったら会いに来てくださいね。」と言われたので、行きませんでした。
その数日後に亡くなられたんです。お葬式も家族葬だったので結局、逢えなかったんです。
自分としては、ご家族に「良くなったら……」と言われても、最後のお別れを言いに逢いに行った方が良かったのかなあって……、気持ちの中で心残りがあって……。
凄く仲良くて信頼されていると思っていたのに、亡くなる前に逢いたと思われる自分じゃなかったのが、凄く寂しかったです。
やっぱり血のつながっている親族と、他人とは、そういうところが違うのかなあって言う寂しい思いをしていた今日この頃でした。」
会長『例えば……、俺らここで皆さんと逢っているよね。いつも、今日が最後だと思っているんです。
東京から離れるとき、いつもうちのかみさんが、駅まで送ってくれて「じゃあね。もう帰ってくるなよ〜」って送り出されるのよ。それで、家に帰ってきたら滅茶苦茶に喜ぶのよ。
「えっ、生きていたの?」って。だからいつも「お別れ」をしているのよ。』
会長『今日、皆さんとも滅茶苦茶に楽しんで、ここで「お別れ」をするんです。明日は、解からないでしょ。
俺らは生きていても、ここにいる誰かが、死ぬかもしれない。いちいち葬式に行くの?葬式っていうのは、ダメなのよ。墓もそうだけど……お坊さんが儲かるだけ。
今、「お別れ」しておこうよ。』
会長『今日、満足して「明日死んでもいいよね」って、そういう言葉を交わしあっておこうよ。それを言霊って言うんです。魂で喋っているんですよ。
良いことばっかり言おうとする人間は、首から上だけで喋っていて、魂で喋っていないね。
冗談が95%、あとの5%ぐらいに本性があり、その人を想う気持ちがあるって言うのが、いいね!
(せつさんに)腑に落ちないみたいだけれど……それは、なぜかと言うと「後悔」っていうものがあるからよ。「逢っといてあげればよかったかなあ」って思っているよね。
じゃあ、逢っといたからってさ……どうという事はないんだよね。そう思わない?
だけど自分の中で後悔する。そこで死ぬと思っていないのに死んじゃったから、「逢おうと思っていたのに」「行ってあげれば良かった」……そういうのは、ダメ。逢いたいと思ったときに逢っといてあげなきゃ、その時に今日でお別れと思って逢っといてあげなきゃ、
想いを残して、いい加減に去ってしまうのは、ダメだね。
「さようなら」
この人とは、今日で終わりだと思って、言っといてあげれば何も葬式に行く必要はない。
葬式に行ったら損するからね。香典代……そっちか!』
両親を亡くしてしばらくの間は、誰かの「死」は、悲しく、寂しい思いばかりで、無意識に亡き人との思い出に浸っていました。
最近は、時々夢に見るぐらいで、悲しいとか寂しいという感情は、ほとんど無くなっています。
それでも、日々の生活では、後悔と反省を繰り返してしまいます。
仕事で「こうしておけば、もう少し儲かっていたのに……」と、次元の低い後悔と反省の毎日です。
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