平成24年 初冬
今宵も会長の冗句を聴きたくて……。京都へ向かいます。
そろそろ会長が、お出ましされるかと思っていた頃に蔦谷さんが、お越しになりました。
蔦谷さん「今日は、会長……、急用があって京都に来(き)はらへんねん。(来られない)」
私(前島)にとっては、初めての会長不在の自然会です。……楽しみです。
地元地域のボランティア活動をされていて、その運営方法に課題を抱えている山中さんに対して、蔦谷さん、新井さん、その道の達人が、的確なアドバイスと激励、冗句を交えて会話が、弾んでいます。
宴の始め、不安気な表情の山中さんもお開きする頃には、得るものが多くあったのか、笑顔こぼれる表情で締めくくり、その儘、次の店へ……。
会長が居なくても、自然会は、粘ります。
平成24年12月19日
平成24年 年の暮れ
歳を重ねるたびに、月日の流れるのがとても早く感じます。でも、脳裏の東日本大震災の惨状は、あの日の儘……、亡き親父・亡きお袋の情景は、元気だった頃の儘……、人にとって甚大な出来事は、無意識にあるところで時間を止めているのかも知れません。
会長『親しい人が亡くなると、普段腹立っていたり、根に持っていたりする事が飛んでしまって、良い事しか頭に浮かばないって言うじゃない。あれは嘘やね。
俺らは、未だにお母に怒っている。今も言っているよ。あの時、なぜ俺らを見放したんだ……。
と、言うことは、殺していないからよ。死んだら許すのではなくて、死んでも、許さないものは許さん。だから生きている。文句言っているんだよ。
良きも悪しきも人間は、語り続けるでしょ。「忘れ去る事なり」じゃ、だめだよ。死んだ人に言わせれば、忘れ去られたら、生きていた意味がないね。良きも悪しきも覚えておいて貰いたいよね。
「人の幸せってなんだろか?」と考えると、此処に居ている我々には……実は、利害ないよね。会いたい時に来る。それで、偶にくるとか、「行かないとアカン」ってないよね。そういう集まりって、俺らは素敵だと思う。
歳の差も何も無い。子どもたちも来てくれる。それで一言もしゃべらないけど、
大人の話を聴いてくれている……。
俺らは、確信持っている。こういう人たちは、将来すごい人たちになると想う。
なぜならば俺らも、同じく地獄耳だった。大人たちの会話を聞いて、子どもの頃「早く大人になりたいなあ」って思った5、6歳の頃に、この子どもたちは今、もう成っている。
このまま行けば俺らが、死ぬまであと2年10ヶ月あるのだけれど……
泣けてくる…… 貴方がたと…… 別れる日が……
でも必ず人には、始めがあり、終わりがある。明日、生きているならいらっしゃいよ。また出会いがある。
と言う事で、本年もホントにいろいろありました。私は、別れの方が多かった。身内が全部死んだから。
……でも死んだと思っていない。「なあ、オイチャン」って言える。
別れが無い。……人生。
別れが無い人生の欠点をひとつだけ言うと……。
「粘るなあ。」
明日は無い。と想うから「粘る」んですよ。』
蔦谷さん「どうも一年間ありがとうございました。」
会長『まあ〜中身の濃い一年でしたよ……。』
上記の会長ことば『明日、生きているならいらっしゃいよ。』は、「明晩一緒に酌み交わそう」というお誘いでした。
この後も会長は、「粘る」でした。
翌日夜更け、ご主人が病を抱えておられ、遠路、会長にお会いに来られたご夫婦との楽しい宴を終えて、そのご夫婦が、笑顔いっぱいで帰路に就く姿を、会長と同席された皆さんでお見送りできました事を、幸せに感じながら年を越せそうです。
勿論、この後も会長は、……「粘る」でした。
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