18年前のこの日、阪神・淡路大震災が発生し、多くの人々が命を落としました。宴の参加者全員でしばらくの時間、手を合わせる一幕もあった今日の例会でした。
会長『ホントにね、人間が今生に居るって事は、皆、変わらないね。いや……ちょぼちょぼだね。
じゃあ、なんで生きていて大往生できるかって言うとね、人をどれだけ愛したかよ。「如何に自分を愛していたか」、「如何に自分を放ったらかして人を愛していたか」で値打ちが変わる。死に際が違う。
俺らのオカンは、良かったねえ。叔父も良かった。ん〜大往生!「くっ・・・クッ…苦…苦しい……」じゃないもん。好き勝手に生きやがってあの二人!
だけどそれが人に対して悪影響を与えていない、尊敬されて逝きました。だから誰も泣かない。
人間が、泣くっていうのは、悔しくて泣くんでしょ。惜しい人を亡くしたとか、何もお返ししてもらっていないから泣いているとか……。
ホントの大往生はね、看ていて「行ってらっしゃ〜い」よ。俺らのオカンなんか、孫にウィンクするんだから。「またねっ!」っていうやつよ。
阿鼻叫喚が無いのよ。そういう死に方しましょうね。
それで何も変わらない……。
例えば今日一緒に呑んでいて明日死んだ。良いじゃない。ってやつよ。亡骸に会いに行ってどうするんだよ。
ちなみに俺らのオカンの時は、東京の例会だったよ。』
会長『皆さん今日は、乾杯じゃなくて献杯にしてくれる。
「何ですか?」と聞かれて
オカンが、死んだんだ。って言ったら
「あっそうなんや」って。……これが自然会のレベルよ。「えっ?」ってならないのよ。
「そうなんだ。良かったですね〜」って。そういうことを普段から言っているしね。
泣くなよ。おかしいだろう。』
蔦谷さん「まだまだ自分は、そんなところに居てないなあ。」
会長『これからよ。でも、貴方はそういうこと思っているけど実は、今私が言った通りになると思っているよ。
例会を欠かさず、毎月やっているじゃない。必ず、此処で身に付いているのよ。
人は、生まれたら死ぬのよ。その間が、短かろうが長かろうが一緒です。そういう気持ちが自分の中に無い人は、こんなはずじゃなかったとか、思うんだね。』
昨年末、会長にお祓いをお受けになられたご主人が、今宵も元気にご夫婦お揃いでお越しくださいました。
『先月この人と会った時、血相かいていたもん。医者に匙投げられたし……「何とか助かりたい」って言って。
その後の検査で、「腫瘍が小さくなっていますね。ひょっとしたら、もう良性に変わっているのでしょうか?」って医者に言われたんだって。
でもね、結局、治しているのは、俺らじゃなくて、つがい。奥さんなんだね。感謝しないとね。』
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