東日本大震災から一年が過ぎ、新しい春を迎えます。 春は、別れて出会う・・・・・・一年の節目の季節かなと思いながら、いそいそと京都・祇園へ向い会長と素敵な方々と合流しました。
冒頭、新井さん夫妻が、お子さんの卒業式に出席されてその成長された姿、言動を目の当たりにして「目頭が熱くなり爽やかな気持ちになりました。」とお話し下さいました。
会長『家族がね、一丸となっている。要するに父親に対して不信感を持っていないのが、まず、第一じゃないのかなと思うよね。だって父親に不信感を持つって言うのは・・・・・・子どもがなぜ不信感を持つかって言うと、母親が、不信感を持っているから伝わるんでしょうね。内緒があったらいけないよね。隠し事がある人生は、碌なんもんじゃないなあ。
・・・・・・でも隠さなきゃしょうがない事もあるなあ。』
(一同頷きながら)「御意」
参加者のお子さん方が、職場で活躍されているお話を聞かせて頂いて、「素敵だなあ」と自宅で留守番のかみさんと子どもたちに思いを馳せていると・・・・・・
会長『人は何か、生きていく術として「目標があった方がいい」って言うのは、親心みたいね。ちっちゃい時にね、どんな人になりたいかって僕らの頃は・・・・・・確かそうだった。大臣になりたいとか、博士になりたいとかケーキ屋さんになりたいとか・・・・・・でしょ。必ず職業だったんですよ。今の子はね、職業を言わないんですよ。僕はね逆に、素敵だと思う。なんでか?って言うと二つある。
「とりあえず食いたい」とか「公務員になりたい」などと、めちゃくちゃ爺臭いことを言う。これは素敵な事だと思う。だって「生活がきちっとできなきゃ」って幼稚園の子が言うんだから。これは、僕は、悪いことじゃないと思う。
もう一つはね、職業を言わないんですよ。「人に愛される人になりたい」って幼稚園児が言うんですよ。「人に好かれる人になりたい」とかさ。
今は、こう二つに分かれているね。おいらは、間違いなく職業は、どうでもいいが・・・・・・
「人に嫌われたくない」とか、「なんか人に好かれたい人間になれればいいなあ。」って言うのも三割ぐらいいるんですよ。自分の中でね。これはね・・・・・・日本、捨てたもんじゃないなあ、と思っています。』
先般、政治家の失言の多さにふれて、
会長『でもね、自然会でもこれを言っちゃいけないって言うのがある。嫁を侮蔑にする言葉、スタッフを馬鹿にする言葉、それ言ったら、仕置きに遭うぞ!人を大事にしてなきゃね。これだけは、みんな守っているのよ。いや、それを守るために生きているんだけど。それが人間修行かなあ。人を敬うって言うか、人を愛するって言うか・・・・・・愛情。』
大池さんから会長へ質問:「人を信じる」事とは?
会長『例えば子どもが、喧嘩売ってきた。腹が立った。その時に喧嘩します?信じるって言うのは、この人と同じ条件だから腹立ったりするんです。当たったりするんです。大きかったらどうってことないんじゃないですか。保護してあげれば良いんですよ。「ちっちゃい」だから。腹立つ。信じて良いかとか、信じて良くないかって言うのは、「ちょぼちょぼ」だからよ。大きかったら腹も立たん。信じられるか、信じられないか、訳のわからん事を言って目が吊り上がっている。
ん〜「沼」!(先月の「爽やか会」例会報告参照)
「裏切り」って言うのは、期待しすぎるからやろ。「信じる」って言うのはね、自分が求めているから信じるのよ。求めてなかったら信じてない。愛してあげればいいのよ。』
続けて、質問:「信じる」の反対の言葉は何ですか?
『「愛する」よ。「疑う」じゃない。信じるっていうのは、自分に欲があること。信じるって自分を信じているんですよ。その反対語は、「愛」なんですよ。「愛」って言うのは、与えるんだから。してあげたら帰ってくると思うから信じるんで・・・・・・裏切られますよ、そりゃ。「愛する」って言うのは、別に見返り貰っていないんだから、いらない。それが、反対語。それを信愛って言って信じるでしょ。でもそれを支えるのは、「愛」なんだから。』
夜も更けてまいりました。「また来月!」を合言葉に解散です。
会長のグラスが空くまで、しばらく居残りです。するとお店のおかみさんが、席を片付けて下さっています。
私(前島)「すいません。会長のグラスが空いたらすぐに失礼しますので・・・・・・」
おかみさん「私は、居ないもんやと思ってごゆっくりなさって下さい。」
会長『うれしいねえ。』
粋で素敵な計らいをして頂き、程なくして「爽やか」な気持ちで、お店をあとにしました。
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