『生活には、いろんな紆余曲折あるじゃない。でも、ちょっと冗談とばせる人生だと家庭良いよね。
例えば、根に持ってさ・・・・・・朝、お父はんが何か言ったことでずっと根に持っててさ・・・・・・って言うよりも次の言葉で冗談になってね、爽やかに返せる・・・・・・
それをね、別の精神的な世界で言うと、結局、些細な事でも腹立つのと、小さな事でも腹立つのと、もう少し大きな事で腹立つのと・・・・・・もっと大きな事で腹が立つ人は、小さな事ぐらいでは、気にならないね。
大きさやろうかな。苦労も。苦労していない子が、ちょっとなんかで不自由しただけでも、もう死にたいぐらいに傷付くけど、そんなもの慣れている人にとっては、そんな小さな事よりもっと大きな事に苦労していく訳だからね。それは、大きくなるんだと・・・・・・そうなっている証拠だと。
水で言うと、「溜(りゅう)」さんずいに留まる、水溜りならボウフラしかいないしすぐ枯れるしね。
その次は、さんずいに召すと書いて「沼(しょう)」だね。これもね、太陽の光も何も入らない。でも淀んでて一応沼に生息するものがある。色々な生物が生息するんですよ。
その次、「池(ち)」なんだな。「池」になると空気も良いしひとつの世界がある。だけどやっぱり「池」の世界だね。
じゃ、それ以上は、何があるかって言うと、「川(せん)」だよ。流れるんだよ上から、ワァッーとね。サラサラであるが、一歩間違えれば、氾濫もする。動いている。それでもそういうところに居る魚は、清濁併せ呑んでいるから、めちゃくちゃ悪魚も居てるし、旨い魚が多い。動いているからね。同じ所でぐるぐる、ぐるぐる回っている池の鯉じゃないんだよ。
さあ、溜・沼・池・川その次が、「海(うみ)」だよ。川が海に流れた時に・・・・・・クジラも居れば、シャチも居れば、嵐も来れば、津波にもなる、そっちに行った人間が、ほんまもんやと思うねん。
でも、どれもほんまもんやけどね。それなりにそこで生きれば良いことだけど・・・・・・だけど溜まりの人間が、海の事言ったら怒るのよワシら。こら!おまえ!って。要するに自分の事しかできていない人間が、なんか人の事を言ったり、人を貶したりしたら、おまえちょっと違うやろ!って言う。
海に行って初めて全部が見えるんでね。ちっちゃいくせにさ、人の事ばっかり文句言ってさ手前が何もできていないのに・・・・・・これは、「溜」と思いません?
難しく言ったけど、もっと言えばなにも・・・・・・冗談言っているのが一番良い。その中にエキスが一杯ある。人間って気楽に言っている事が、ものすごく参考になっていると思うよ。「こう生きねば」とかね、「がんばれ」とか、「子育てしっかりしろ」って言う事ないよ。自分がやっている事は、人が見ているじゃない。わざわざ口に出すことは、ない。冗談で良いよね。』
今回は、
「明日になったら忘れてしまうから、書いといて。」と会長が、仰られた事を記しました。
再開にあたり、京都例会を「爽やか会」と会長に名付けていただきました。どんな状況におかれ様とも「爽やかに生きよう!」という想いからと捉えております。
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