遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年はどんな年になるのでしょうか。
年明けの例会会場は、もちろん、その名も誉れ甲州屋さんです。
サダさん「新年が明けましたが、去年親父が亡くなりましたので、おめでとうは言えません。でも、うちの甥っ子が出来ちゃった結婚で、すごく可愛い子が生まれました。死んでいく命と、生まれてくる命がある。先月の会長の話で、宇宙の時間から言ったら我々の生きている時間は点でしかない。その意味では、生まれてきた子もいつかはあの世へ旅立つ。俺の人生設計では、自分は30歳で旅立つつもりだったから、こんな50歳まで生きていて、ああ、生かされているんだなあって、しみじみ感じます。生きている間に、一番の宝、カミさんと出会えて、これは宝くじより確率低いかもしれない。そんなステキな人と出会えて、子ども3人にも恵まれた。欲はないけど、俺も早くおじいちゃんになりたいな。3人娘にはまだ彼氏もいないけれど……」
会長「20年付き合ってるけど、こんな立派なこと言ったのは初めて。添い遂げるって言葉があるでしょ。いい言葉だよね。たとえば、老夫婦が歩いている姿があるわけ。80代でね。お互いに支えあって、結婚何年ですかと聞くと60年。ぴちぴちした20代の頃から90近くなるまで添い遂げるのは美だよね。ステキな老け方。そういう人生歩めるのは理想的だよね。浮気したこともあったりとか、別居したこともあったりとか、そんな紆余曲折があっても、やっぱりこの人がいいってなったんじゃないかな」
次のイワさんは去年友人に不幸があったとか。
イワさん「今日は告別式に行って来ました。年末の30日に亡くなったんですけど、まだ41か42かな。飲み屋をやってたんですが、それを閉めるからっていうから、どうしたのと聞くと、病院の検査で引っかかって、それを治すのに一回店を閉じるんだって。それが9月くらいだったから3か月ちょっとですね。まだ若かったのに、これが寿命っていうものなんですかね。体重が50キロくらいはあったのに、最後のほうは30キロ代になってしまった。体重が減って生きる希望が萎えちゃったのかな。今日の告別式にも行こうか行くまいか迷っていたんだけど、ほかの飲み友達たちも行くというので行ってきました。そうしたらすごい大勢の人が来ていて、40代でこれだけの交流関係があったのはすごいことだなあと思いました。自分が死んだ時にはこんなに来てくれるのかなあ、誰も来てくれないか(笑)」
会長「行かない、行かない。人の命は儚いよ。そういう風に考えればだけど。どこで死んでもいいって思っている人間にとっては楽しいよね。何歳で死のうが。でも、利害関係もなく、気が合って十何年も友達でいれば、それは本当の友達。そんな友達なら葬式行く必要もない。心で繋がっているんだから。何千人も式に来るかもしれないけど、普段会ってもいない人が涙流して惜しい人を亡くしたって言ったって、何が惜しいんだよ。生きているうちに会いに来もしないで」
会長「例えば、生命装置つけて寝たきりになった人に、皆、生きなさい生きなさい、頑張って頑張ってと言う。オイラは逝っていいよって言ってあげる。逝けよって言葉を待っているんだな。死にきれないから逝けないんでしょ。死んでもいいってことがはっきり分かれば、誰でも安心して逝くじゃない。それを管を付けられて生かされる。本人も家族も望んでいないのに。だけど、医者が生命装置外したらいまの法律では殺人になっちゃう。何が人を幸せにするのか。本人も家族も幸せになれるのなら、逝っていいよって言ってあげなくちゃいけないのよ本当は」
今回、初参加のノブさんは、介護関係の仕事をしているそうです。
ノブさん「いま、高齢者の体操障害が多いんですけど、娘さんが亡くなっちゃった人がいたんですね。お母さんががっくりきて認知症になっちゃって、物忘れが酷かったんですけど、体操指導したらすごく元気になって、旦那さんより元気になっちゃった」
会長「それは感動だよね。あのね、人には天職ってものがある。迷ったら自分にとってそれが天職かどうか考えてみる。天職だったら、その職場から辞めないでくれって言われますよ。それでなきゃ、他の職場に行けばいい。待ってましたとばかりに雇ってくれます。もし、それもダメだったら、自分でやればいいんですよ。パソコンだけあればできるから。おぬしにはできる」
まだまだ熱い言葉が続きますが、今夜はこの辺でお開きといたします。
本年もよろしくお願いいたします。
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