●●●

TOP

病は克服できる

幸福のプレゼント

復興への道

愛ある故に

入会案内



  あほとかしこ その2

                                     平成27年7月9日目次に戻る

 今日は、いつもより遅い時間に会長が季久さんに到着。
フラフラの足取りで、いまにも倒れそうです。いつものオーラが・・・見えない?!(笑)
奥様とのお食事でお腹がいっぱいになったそうです。
体中の血液が胃に集まって、思考がとまったよう。少しして会長の胃がこなれてきて、顔色が戻ってきました。
いつものダジャレがでてきたところで、本日の今日この頃が始まりました。

先月の話。あほとかしこの続き。
まだちょっと理解できないと新井さん。
「あほは若い時は隠せる。けど60歳こえると隠しきれなくなってくる。どこかであほを暴露してしまう。
若いうちにあほに気がつけば、救いようはいくらでもあるけど。
だけど、60歳こえたらフォローしてくれる人間がいなくなってくる。そうやったらこの人の人生ってどうなるんやろ?みじめな死に方するしかないんかと。」

会長「それは、たんなる自己欺瞞であって、あほがばれたっていいんだよ。急にこうべをたれていいんだよ。そこで安心という言葉がでてくるんだけどね、死ぬまでに、3日前でもいいよ。そのあほに自分が気がついたら素敵よね。3日前でも気がついて、おれはあほやったと、みんなに迷惑かけたと謝れたらすごいよね、安心していけるよね。」

けど、それが言えなかった人はどうなるか?

「そのまま地獄だね。来世もそのままあほや。この世に生まれてきてるのは、みんなあほやから来てる。だから、現世で気づかないといけない。そのためにきてるから。」
「安心てなになのか?不安がゆえにいろんなものをつけようとする。安心できないんだよね。自分に自信がないから肩書きをつけようとする、自分を飾る、車を持とうとする、全部不安の象徴だよね。
本当の安心てなに?性分がなくなること。あほとかしこもなし。基本的にはみんなあほや。そうなったらなんも悩む必要ないよね。」

あほとかしこ。考えれば考えるほど、難しくなってきてしまった・・・
だけど、言えることはあほになったらいいということ(ここでは本当のかしこの意味だけど)
自分があほやと気がつくこと。

「なんにもなくていいんだよ。根っこは1つ。なくすものがない人間は強いのよ。
そういう覚悟が安心。」

死ぬまで修業だなと思った今回の例会でした。



←前月の京都「爽やか会」報告
←前月の東京「音羽村だより」
同月の東京「音羽村だより」
目次に戻る
このページの最初に戻る
次月の東京「音羽村だより」→