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●京都便り


                      木の上に立って見る

                                  平成20年1月16日京・このごろ会より
                                                  目次に戻る

  一月の今日・このごろ会は『成人の日』の直後。今年お子さんが成人式を迎えられた方が何人かおられ、お子さんが成長するまでの思い出や喜び、お子さんの進路、伴侶への感謝などの言葉が聞かれました。そして、今年新成人の娘さんを持つお母様が、自らの成人式を振り返って

 「私達の時代は、今の子供達と違って、父親とペチャクチャって関係じゃなくて、父親に何か言われたら"ハイわかりました"っていうような関係。成人式の日、晴れ着を着せてもらって、帰ってきた後、母が"口では言わへんけど、父ちゃんが二階の窓からあんたが出て行く姿をずーっと眺めていたよ"って言ってくれた。私の成人式の思い出はそれなんだな、って今でも思っている」

  会長は「母親の方が喧嘩するんですよ。娘とは20歳になったら親子というより、姉妹、友達、親友。親父は感覚が全然違う。段々離れる。女の子だから気まずい。安っぽく"おい今日

から20歳だから、大人になったんだから、どーのこーの"って言えない。馬子にも衣装で成人式の着物を着て歩いて行く娘を2階の窓から見ている。祝っている。木の上に立って見ると書くのが親という字。その通りだね。父親にとって娘はあこがれの傑作。宝だ。それで一言も要らない」

……………

  この日の出席者の身近に実際にあった、車庫入れの際、誤って自分の子供を轢いて死なせてしまったという悲惨な事故について質問があり、会長は次の様に答えられました。

 「親は不注意以外なにものでもない。過失致死だ。子供は宿命。寿命がそこまでしかなかった。自分で生んだ自分の子、だからどこまでも自分が償っていく。その子を犠牲にしたことによって、そこからの人生が大きく変わる。変わらなきゃいけない、犠牲にしたんだから。親は自分の子であればある程、人の為に尽さなければ、ってなるよね。人の子も自分の子って思えるようになるよ。

  先ほど話に出た、高校生の時、同級生の中絶に付き添った事がきっかけで助産婦を志して勉強しているという娘さんは、親友の子が犠牲になっているのを見て、ちゃんとした介護士なり、助産婦であればと思った。犠牲があって、始めて天命を感じる。使命感を感じる。それまでは何でも良かった。あこがれるもの(職業)が違った。自分の為のものだった。
  かけがえの無いものを失くした時、人間ってものすごく変わります」

……………

 「体が元気になったら、すごくズケズケと物を言い出してしまい、悩んでいる。人を責める事が、逆に自分にしっぺ返しで還る気がして、言っていいのかどうか。また家族にはついキツくなってしまい、嫌われてしまう」と仰る方に会長、

 「臆病者なんだ、自己保身。人から良く思われたいんだ。人間自分の体が弱い時は人の事どころじゃないし、そんな自信もないけど、このごろ元気になってきて、目につく。余裕が出来たんだ。でも言って生意気だとか思われたくない。
  簡単。それがその人の為になるかどうか、だ。勝った負けたで、お前アホや、ワシ賢いんやでって指摘するのは、それは妬まれますよ。
  そうじゃなくって、その後の責任をとってあげないと。"じゃどうすればいいんだ""そんなの知るか"って言うのなら、言わない方がいい。その人の為になると思ったら、とことん面倒みる。いる限りは。お前アホか、こうこうこうだって全部教えてあげないと。どうすればいいかって全部。人を馬鹿にしただけなら、ただの悪口。この人を何とかしてあげたいって思ったら言える。関わりたくないと思えば、放って置けばいい。そんな時間もない。聞く耳を持っていない人はいっぱいいる。そういう人には迷惑がられるだけ、大きなお世話。
  近親者に厳しくなるのは当たり前、それは責任をとるから。遠くに居る人は一期一会、次いつ会うのか分からないから、責任をとらなくていい、だから褒め殺しよ」




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