この日の出席者の身近に実際にあった、車庫入れの際、誤って自分の子供を轢いて死なせてしまったという悲惨な事故について質問があり、会長は次の様に答えられました。
「親は不注意以外なにものでもない。過失致死だ。子供は宿命。寿命がそこまでしかなかった。自分で生んだ自分の子、だからどこまでも自分が償っていく。その子を犠牲にしたことによって、そこからの人生が大きく変わる。変わらなきゃいけない、犠牲にしたんだから。親は自分の子であればある程、人の為に尽さなければ、ってなるよね。人の子も自分の子って思えるようになるよ。
先ほど話に出た、高校生の時、同級生の中絶に付き添った事がきっかけで助産婦を志して勉強しているという娘さんは、親友の子が犠牲になっているのを見て、ちゃんとした介護士なり、助産婦であればと思った。犠牲があって、始めて天命を感じる。使命感を感じる。それまでは何でも良かった。あこがれるもの(職業)が違った。自分の為のものだった。
かけがえの無いものを失くした時、人間ってものすごく変わります」
……………
「体が元気になったら、すごくズケズケと物を言い出してしまい、悩んでいる。人を責める事が、逆に自分にしっぺ返しで還る気がして、言っていいのかどうか。また家族にはついキツくなってしまい、嫌われてしまう」と仰る方に会長、
「臆病者なんだ、自己保身。人から良く思われたいんだ。人間自分の体が弱い時は人の事どころじゃないし、そんな自信もないけど、このごろ元気になってきて、目につく。余裕が出来たんだ。でも言って生意気だとか思われたくない。
簡単。それがその人の為になるかどうか、だ。勝った負けたで、お前アホや、ワシ賢いんやでって指摘するのは、それは妬まれますよ。
そうじゃなくって、その後の責任をとってあげないと。"じゃどうすればいいんだ""そんなの知るか"って言うのなら、言わない方がいい。その人の為になると思ったら、とことん面倒みる。いる限りは。お前アホか、こうこうこうだって全部教えてあげないと。どうすればいいかって全部。人を馬鹿にしただけなら、ただの悪口。この人を何とかしてあげたいって思ったら言える。関わりたくないと思えば、放って置けばいい。そんな時間もない。聞く耳を持っていない人はいっぱいいる。そういう人には迷惑がられるだけ、大きなお世話。
近親者に厳しくなるのは当たり前、それは責任をとるから。遠くに居る人は一期一会、次いつ会うのか分からないから、責任をとらなくていい、だから褒め殺しよ」
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