京都例会(京・このごろ会)が素的なのは、今日出会った人にこんな失礼なことをしてしまったとか、家族にこんな態度をとってしまって反省したとか、こんな事があってすごく感謝したとか、具体的なんです。どこどこの例会がどうのって抽象的な話じゃない。宮崎もすごい、理屈を言う人は一人もいない。何ともいえない人生の素晴らしさを感じるよ。
(東京の)皆さんもそんな人の役に立てる逸材になりかかっている。それは自己主張がなくなったことろから始まる。まだ自己主張してる人もいるけど、すっかり越えてる人もいる。こんな時代に集まって、しょうもないこと言ってると思ったら、絶対なんか自己主張してますよ、それをしないってことは……ワシら本当に阿呆だと思われてるんだなぁ〜(一同:爆笑!)
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ある男性に会長はこんな風に声をかけられました「親を思う気持ちを聞きたい」
「尊敬してます、言語で組み立てる必要もないくらい好きです」とその方。
会長は「こういうことがあったとか、こういう会話があったとか。だた尊敬してる、だけじゃ分からない。とても簡単なことなんだけど、感性が乏しいんだね。理屈で喋ってしまう。人を愛するってことが分かっていないんだ。厳しすぎる言い方かもしれないけど、今ここで開眼した方が早い。人間はとっても素的なものなんだ、と分かって欲しいから。百万冊の本を読んでいくら頭に知識を詰め込んでもダメ、大事なのは感性。ダジャレ云ってなんだ下らない、って眼でいつもワシらを見てるけど違う、そこに文化がある、そこに気付いて欲しい」
「素でいけばいい」「いやその素が難しい、分からない」と皆も声を上げると、会長は
「難しくしてるのは自分。じゃ開き直って、何の努力も要らないのかって云ったら、それは違う。素でいい、けど素にも努力が必要。素の努力が王道。素の王道。そこまで行かなきゃいけない、簡単じゃないけどね。何も考えなくていいのか、何もせんでいいのか、と行くのは邪道。勉強することはキッチリして、それをひけらかさないで、阿呆になって喋れて、人に気持を伝えられる、それがホンモノ。知ったことを偉そうにひけらかしたり、人と自分を比べて威張る、そんなことやっているうちはダメ」
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「人の来る道は、結局川みたいなもの。川は流れる、澱みなく流れる。自然に色々あって、時に洪水になったりもする。でもサラサラと流れてる川がホンマもんじゃないかな。そしていずれ大河に、海に行き着く。一つの川も、その川だけが流れているんじゃない。沢山の小川があったり、結びついて繋がりながら、流れている。これは人間の営みと同じ、一緒。どの一つでも無視したり、堰を作ってしまったり、逆らったりすると、氾濫しますよ、人間が氾濫しているんじゃなくて、自然が氾濫しているんだ」
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