天に任せて
平成20年12月7日 目次に戻る
早いもので平成20年の忘年会となった今回の例会は、乳がんを機に、ご家族と理解を深めあい、反省しあい、協力しあい、絆を一層強くされたという方のスピーチを以前の報告でも何回かご紹介しました。すっかりお元気になられ、その後を語って下さいました。
「…病気している間、子供達が家の中のこととか、本当によくやってくれて有難かったけど、元気になったら喉元過ぎればで…。でも元に戻ってくれた子供達にがっかりより、うれしい。元に戻った自分の家庭がまた同じ雰囲気で作られているっていうか、自分がそれに対して愚痴が言えて文句が言えて怒ることが出来る、普段の生活が戻ってきたことに、感謝だな、有難いなと想う今日このころです」
会長は「それでいいんだよ。あれだけの試練を越えて、夫のいる喜び、家族のいる喜びをあらためて感じることが出来た。みんなもいつも好き勝手なこと言っていたくせに、お母さんの有難味が分かって、ごはんを作ってくれたりしてた。ところがもう元に戻って、なんでそうなるのって、でもそれが健康な状態なんだね、きっと。文句が言える自分、このクソ亭主って言える元気が出来た。健康な状態に戻った、その喜び。どこまでもこのガキャア、このクソ亭主って、それでいいんだ、ありのまま」
……………
「話す事が何もないんです」と仰る方に会長は
「何もないところから出てくるんだよ。素的だなと思うのは、悩みがない、だけど満足してるのかって言ったら、そんな顔はしていないところ。
何にも個人の悩みはない。身体は健康、だけど何かある、虚しさが。明日死ぬかも分らないって時に。まあ事なきを得るって、それは素的なことだけど、自分が誰の役にもたっていない。自然会の世界ではそれは怠けもの。なんかせいよ、自分自身を高める為の修行だとか金儲けとか、そんなんじゃなくて。本当の勉強ってのは何か出来る、何か方法がある、それを探さなきゃ。自分のことはどうでもいいから。どっか痛いなんて忘れてしまうくらい、それが一番素晴らしいんだから」
……………
「最初は理解不能だった、何故島原にここまでするのか、常識の範囲を越えていると思っていたけど、ブログを読んでつくづく分かった」と、島原復興支援について書かれたブログ(vol.86〜vol.90)の感想を語って下さった方に会長は
「歩く事もおぼつかない老婆に、荷物を持って上げようと言っているのと一緒なんだ。その日はいいよ。でも世の中そういう人ばっかりじゃないから、そうじゃない人に会った時、こいつら薄情だなって汚い気持ちになる。ヨタヨタしながらでも、自分で持つもんだと思って一生懸命歩いているのに、それをおばあちゃん、持って上げようって、それはいかん、半端なボランティア、親切はその人の為にならない、ってことをブログにも書いた孤児院の園長さんに言われた。
“おばあちゃん、がんばれ”ってそれだけでいい。持って上げて、ああ、いいことをした、じゃあ、あくる日はどうすんの、知らん振りだろ。普賢もみんなそうだった。来ては去り、来ては去り。長くいるやつはどうなのか、何か目当てがある。宗教にいれようとしたりね。
もし依存心を煽るようなやり方をしている宗教があったら、それは全部デタラメ。人の弱みを喰い物にしているから。強くしてあげようとしているんじゃない、強くなられたら困るんだよ。お客さんがいなくなるから、商売にならない。…本当の宗教はおかみさん、嫁はんですよ。嫁はん大事にしてないやつは、駄目。
その子供たちも、親御さんが亡くなったりして、或る日施設に入れられて、そこには先生もいて、色々やってはくれるけど、淋しい淋しい。そんな時にちょっとお兄ちゃんが来てね、それは僕自身が母子家庭だったから出来たことなんだけど、安っぽい愛でやるのなら、長続きするものじゃない、確かにそうかもしれない。気分がいい時だけすると想いが募るんです、その子たちの。そうすると脱走になっちゃう。
明日連れて行きますからって施設に電話を入れて、翌日連れて行ったら、ちょっとって園長室に呼ばれて、コラッ、お前最後まで出来るのか、覚悟はあるのか。私たちのやっている事は薄情に見えるかもしれない。でもそうじゃない、ここでみんな生きていかなきゃいけない、そして何れはここを出て行かなきゃいけない。君みたいなひよっこが愛情を持ったと思ったら大間違い、責任取れるならやっていいよ、って言われちゃった。二度と来ないでって。でボロボロ泣いちゃって、すみませんって謝った。
その時から僕はボランティアって大嫌いなんだ。だから普賢の時は私財を全部投げ打ってやった。中途半端はしちゃいけない。まだ借金もっているし」
「最後迄やり遂げたよね」と言葉をかけられると会長はひとこと「天に任せただけ」。
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