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●東京月例会報告レポート


                         アットホーム

                                  平成22年8月1日  目次に戻る

  今回は親子のコミュニケーションについて、色々語られた例会でした。それはこんな会話からでした。「何が本当にやりたいのかわからない」と娘さん。付き添っていらしたお母様は「自分が思う通りに生きて欲しいから、ゆっくりよく考えて…」
  会長は「それはカウンセラーが言うこと」と、続けてこんな風に。

 「親子ってカウンセリングじゃないんだよ、愛されているなって実感できるどうか、かまわれているのとも違う。たとえば怠けていたら、働けこのヤローってどつく、そしたらその子も実はそれを求めていたりね。
  お父さんもどう対処していいのか分からない。お祓いの時はこの娘が治るなら、自分は死んでもいいとまで言ってきたのに、後は顔を出さない。一旦波を乗り越えたら、エエってなもん。また困ったら行け、それじゃ自分たち家族が進歩しないで、ただ治ったらいいのか。
  両親とも優等生的で、この娘が求めているのは感性。芸術的なものを持っているし、家の中で、波長が会わない。いい年して親に迷惑かけちゃいけない、何かしなきゃ、どこも悪くないんだから、思えば思うほど堂堂巡りになる。一番いいのは男に惚れることだよ、アタックして破れて、傷ついて、それで人間、太っていくんだよ。
  うっとおしい顔をしているより、男に惚れろ。生きる方法論なんていらない。ときめき。本人が今日どうしても、一人でも来たいって言ったのは、ときめきがあるから。本当に欝だったらまず、家を出ない。ワシ心を鬼にして電話に出ないんじゃない、いつでもかければ気慰めしてくれる人になっちゃうから。電話かけてくるなら来いって気持ち。絶対今日くるって信じていたらその通り。そこでお母さんが従いてきたから愛情の深さはわかるけど、表現の仕方が下手。通じていない。通じていたら、自分の子なんだから、何も人の世話になる必要はない、健康にも出来るし、落とし込むことも出来る。子供を駄目にするのも素的にするのもお母さん次第。愛情を感じているのと解っているのとは違う。怠けていると、こんな子を産んだ覚えはない、になっちゃう。自分の身を粉にしない限り子供は救えない」

 Mさん「今24才の息子が19か20の時、反発があって、向かってきた。なんだ親に手を挙げるのか、ならお前本気で殴れよって言ったら顔を3発殴った。痛いじゃないかこのヤロー、これくらいにしとけって、3発でおさまったんですけど。その時に息子が訴えたのは、俺は愛されてなかった。お兄ちゃんばっかりで、いつも一人で留守番ばっかりさせられた。小三の時自転車に乗っていて車と正面衝突して、その時はかすり傷くらいで、後遺症もなくて、普段の生活に全く支障はないんですけど、小さい時の親とのコミュニケーションとかいっぱい遊んだ記憶とか、全く飛んでいる。二人共共働きで、兄貴がいるんですけど五つも上で、友達関係一緒じゃないから弟を連れて遊びにいかない。いつも一人だけ家に取り残されて、それがすごく不安で寂しかったようだ。
  先日朝6時くらいにタクシーの後のドアを蹴飛ばして運転手に警察呼ばれて、7時前に呼び出されて迎えに行ったんです。神妙な顔して、ごめんなさいって一生懸命言ってるんですけど、その時につくづく感じたのは、愛情不足だな、普通に生活して、悪いところもなくて、親にもあれ以来かかってこないけど、心の中で消化不良おこして、そのまま苦しんでいるって感じた。反省はすごくあるんですけど、どうしていいのか具体的には出てこない。身に詰まされる思いで聞かせてもらった。夫婦で考えて、彼を癒すことはできないのかと思う」

 会長「物事は出会いから始まる。京都自然会に当初から7才の子が来ていて、お父さんお母さん別れてって言う位、家にいても安眠できない。二人とも好き、でも喧嘩ばかりする、小さい胸を痛めている。それをマイクを持ってポツリポツリと言う。どっちも好きだから別れて欲しくない、けどこのままではお父さんもお母さんも幸せになれない、ポロッと涙を流し乍ら言う。二人揃っていればコラーッお前ら夫婦って言えるけど、片一方しか来てないのね、お母さんが来てる時はごめんなさいってその子に謝るけど、それまではさっきのお母さんみたいに、こうしたらいいとかあーしたらいいとか、方法論を言ってる。そういうことは何も求めていない。愛されているかどうか、アットホームかどうか。理屈は何もいらない。それを7才の子供がポツリポツリと言う。シナリオがない、本当に腹から出てる喘ぎであり、雄叫びであり、それを聞いたら、お母さんも目覚めた。今迄家庭ってこういうもんだと考えていたことが違う。もっと泥んこになって取っ

組み合うような、この子の為なら、我が身を捨ててもいい、捨て身なものが感じられない。ただ理屈で勉強しなさいとか言っていたのを、お母さんが詫びて、そしたら次の回にお父さんまで来て、娘にありがとう、ありがとうって涙流して。
  今15歳、茶髪でゴチャゴチャ色んな飾りをつけて"どないなんねん"って思っていたら、一番優しい子だった。


  ……………

  さて今回はいつも会場としてお借りする、何軒かのお店の中の一軒に、急遽決まりました。それにはこんな理由がありました。奥様ががん検診で異常がみつかり、ご主人は食事も喉を通らないほど心配されたそうで、幸いにしてごく初期のものと分り、ほっと安堵。奥様は「検査の結果が出るまでは二人で泣いたり吠えたりした、けどまた二人でがんばりましょう」と。今月の例会場にと電話をもらった時には、心配りに涙がでましたと、感激しておられました。こちらこそ、いつも美味しいお料理と気配りで明るく迎えてくださり、一同、感謝です。




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