パートナー。
平成18年11月19日
「打算からきているものは愛が浅いです」と「是非一緒に月例会に参加したいが、妻が仲々来てくれない」と仰る男性に、東会長がとても具体的に話をされていました。
「アンタそれが好きなら行ってらっしゃい。それは許す。その代わり私のも許してよって言うのは、夫婦がお互いの打算を妥協しあって共同生活している訳です。
いかに相手が思えるかが愛なのに、思って欲しいという打算が、こうしてくれればこうするけどって、貸し借りの様になってしまう。
たとえば、オレはたまの日曜なんだから釣りに行かせてくれ、ゴルフに行かせてくれ、その代わり一生懸命働くから。でも相手から言わせれば、それは全然違う。稼ぎを持って帰ってくるのは当り前。"思い"ってのはどうなっているんだ。
片方は働くのは当り前、もう一方は当り前じゃない、お前らの為に働いているんだって、じゃあ一人だったらどうなのか、結局働くんです。だから逃げです。家族の為とかなんとか言っているのは。
お互い役割分担があって、家庭を守ってくれている、パートナーとして、認め合い、愛しむ、感謝するっていうのが自然に滲み出てきた時、愛が深いんです。
価値観がずれているっていうのは認め合えばいい事です。何をやっているのか知らん、無関心ってことじゃなくて、奥さんのやっている会にちょっと見学に行ってもいい?って理解することが必要ですよね。それを面倒臭いと思うのなら、その事自体が浅い。同じことを経験してみなくては。
価値観が同じになった時、深いんです。
同じものに感動して、同じものに腹を立て、同じものに哀しくなりって時に、本当に解け合っている夫婦になっていく。
それには時間もかかりますよ。違うもの同士が一緒になって個性と個性が衝突りあうのだから、ケンカから始まって、お互いの欠点も含めて許しあってって、なるには。
究極を言ったら銀行強盗だって一緒にする。もちろん悪い例ですよ、コレは。
捕まっても、どちらかが主犯ってことじゃない訳ですから、入る刑務所は別でも同じ刑期で出て来る、パートナーは地獄の沙汰も一緒ってことです。
どんなことも一緒に舐めあえる、味わえる、同じことが出来る、同じことがしたい、ってのが愛だ。生活共同体じゃなくって運命共同体です。
だから愛が浅いと先にどちらかが死んだら、幽霊になって出て来ないで、って思う。深いと幽霊でも何でもいいから出て来て欲しい、淋しいから。絶対出て来ないでって言うのは、ちょっとチグハグ、浅いですよね」
……………
「愛って感動なんですよね。
自分の思いが相手の心を搏つから愛が芽生える、一方通行じゃない。
思おう、思わなくてはいけないってするんじゃなくって、その人の為に思わずしてしまう、それが感動に繋がる。
それは命がけで何かをしてあげるような大きなことじゃなくていいんです。暖かいものが伝わる、あの人といると暖かいなって。有難いなって気持ちになる。友情が芽生える。友情だって愛ですからね、いつもそういう風にいられる人は素的です。
いつも数字が頭の中に有る人はこいつと会ったら儲かるだろうか、損するんじゃないかって考える、人間として低俗ですよね。
だから夕陽の良さも朝陽の良さも見逃すし、雨の良さや、風にも匂いがあるってこと見逃すし、五感が全部働かなくなってしまう、完全に左頭脳だけが働いてしまって、なんだか近寄り難い、好きになれない人間になってしまう。
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