他愛ない話
平成18年10月29日
「タアイナイって漢字でどう書くの?他に愛がない?いや、愛の他にはない、だよね」
と東会長が、今月も西は和歌山、東は埼玉と各地から集まって下さった皆さんとのコミュニケーションの口火を切られました。
「他愛ない話には駆け引きがない、自慢話がない、競争もない、冗談ばっかり言っている他愛ない話の中に、何か拾えるものがあればいい。
どんなたわけたことを言っていたって、人それぞれ、生きてきた土壌も違えば性格も違えば、年令も環境も違う、他愛ない話の中にいっぱい出てきますから、それをキャッチする。人によっては、ほとんどキャッチしない人もいる。
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波長が合った同志だと、何気なく聞いていても、吸い取り 紙みたいに心に沁み込んでいく、それが人と人のコミュニケーションだと思う。頭じゃなくって心に沁み込んだものだから、何時の間にか自分のものなっている。
だから何かテーマを決めて今日はこれを勉強しましょうっていうものではない、ほとんど無駄話でいいんです」
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……………
「まさかお話しなければいけないとは…思ってもみなかったので、非常にお喋りが苦手で、アタマが真っ白になっちゃって、言葉も短くしか出て来ないし…」と今回初参加の女性。
「真っ白だからいいんです、本能的なことしか出てこない、短くていい、"今日来たかったから来ました"って、それでいい。だってそれが一番の真実でしょう?」
東会長は続けて「言の葉というのは枝葉が生えている。葉っぱですから。でもあなたが生まれて、ずっと、根っこをもっている。木を持っている。そこから枝葉が生えている。その根っこそのものさえ喋っていればいいのに、多くの弁舌家の言葉は葉っぱばかり、飾りばかりで中身がない。
根っこだけを一言喋っている人の方が余程いい、それがどんどん増えていけばいいんだ。言の葉の多き処に実はなしってね。
良いことを言おうと思うから、焦っちゃうけど、そんなこと思わなくっていい。
"聞いている人は犠牲者じゃ、ザマーミロ"で言いたい事を言っているうちに勝手に飛び出してくるから。今日を境に外しちゃおう、そういう構えみたいなものを"私しゃ、アホや〜〜"って。
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悪くみられたくない、ちゃんと喋らなくてはいけないって、そういうのがどうでもよくなった時、本当の言葉が出て来るんですよ」
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「私の本の中に"今生明死"って偉そうな言葉があるんですけど、僕は別に悲愴感で言っているんじゃないんです。今生、今を生きて明日死ぬ、明日死ね、って意味じゃないんですよ、生かされているこの素晴らしさに感動するってことです。感動イコール、愛ってことです。けど、そんな大そうなもんじゃない。
右、左って命令しなくても、ちゃんと歩ける、人間の身体はすごい、有り難い。
なんてステキな人生を頂いているんだろう、と感動する。
雨が降ったら、きっと畑が喜んでいるだろうなって、全てが感動ですよ。
友達一人がとっても大事。
その人の為に何かしてあげよう、その人の為なら死ねる、またその人の愛をうけて涙する、そういう感動が一日にひとつ、あったらいい。
あの人に会いたいな〜〜って気持ちがあれば、ひきこもりなんて居なくなりますよ。
会う人も居ない、愛する人一人居なかったら、学校時代のアルバムを捲って、アイツどうしているかな、って電話したらいいじゃない。おっくうがっているから、引っ込み引っ込みになっちゃうんですよ」
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