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                   感    性

                                     平成24年4月18日目次に戻る

  記憶に新しい、京都・祇園の歩行者死傷暴走事故・・・・・・、亡くなられた、怪我を負われた方々とそのご家族の無念さを計り知る事はできません。二度と起こらぬよう願うばかりです。

  いつも例会でお世話になっているお店は、その暴走が、始まった所のすぐ近くの「居酒屋 季久」さん(東山区大和大路四条下ル)です。通りには、多くの花束が、手向けられていました。

  宴の席、他愛のない話の中・・・・・・
  新井さん「カーナビや携帯電話などを使うようになってから野性的な勘が、退化してしまっていると思う。」

  それに対して、生半可な私が・・・・・・、
  前島「時々は、感性を磨かないと。って、思います。」と口走ってしまいました。

  会長『感性ってどこにあるのよ?』

  蔦谷さん「おっ!ええところいったなあ。」

  会長『感性と習慣は、違う。かみさんとは、惚れているから通じるのよ。惚れていないからみんな離婚するんです。それを感性と思っているかもしれないけど、要するに意見が、合わないんだよ。「私は、これを作りたい」と思って料理を出されても、食べたくないものを出されたら仕方がない。感性ってなんやねん。磨くって言うたけど、解からないものをどうやって磨くのよ・・・・・・。

  感性と性格を一緒にしてしまっているのよ。性格を直すとか、性格を正してそれを「感性を磨く」っていう次元なんだよ。ホントの感性は、違うよ。
  見えない事が、感性。いつも素(す)にいなきゃいけないって事。素になれば人が見える。自分って者に皆こだわっているやん。誰かと戦っているよね。

  感性って何だよ。前ちゃん、無責任なこと言っている。感性磨こうと思っているんだったら、まず感性を出してみろよ。出さなきゃ言えないだろう。

  感じている事を臆面(おくめん)もなく言える。それは、もうすでに磨かれている。相手の事が、解かる事を感性って言う。

  なあ、「一喜一憂」ってどういう意味なんですか?・・・・・・右往左往する、それに対して心が喜んだり、悲しんだりする・・・・・・そう思っているわけ?違うよ。「一喜一憂」って言うのはね、病人には、いないよ。僕が、思うのは、一喜のきは、一駆。一憂のゆうは、一勇。たった一駆で世界と戦おうとしているのが、一駆一勇(いっきいちゆう)。そっちの方だろうね。ひとつの事によって喜んだり悲しんだり。自分にとって都合が、良い時は、喜び、都合の悪い時は、悲しむ。それは、自分の器の狭さを言ってるんだね。何事にも動じないのが、一番良いわけだよ。
  自分は、なんぼのもんでもないと思ったら、いちいち喜んだり、悲しんだりしません。なんぼのもんでもないんだから・・・・・・。褒められても嬉しくないし、貶されても悲しくない。自分で自分の事、知っているからよ。それを、感性を磨くって言うんですよ。いかに自分を削れるかだね。

  自分があるから者が、見えない。自分の欲しか見えない。無くして行けば行くほど、感性が見えてくる。人が見える。人が見える事を感性って言うんですよ。自分しか見えていない者は、なにも見えていない。自我欲ですから。それが、感性。前ちゃん、まだ解かってないな。』

  前島「はい・・・・・・。」

  会長『金(かね)で動いているのは、感性じゃない。それは、感情(勘定)で動いちゃう。感性って言うのは、動かないね。だから、今回の東北でもあるけど、これは手厳しすぎる。帰るに帰れない。故郷を捨てているんじゃなくて、帰れない。って事は、感性が無くなっちゃう訳よ。いきなりある日、故郷が、無くなる。

  子どもたちから見たら・・・・・・えっ。これから、生きていくうえでの根っこが無くなる。土壌が無くなっちゃう。生きていく土壌が・・・・・・。 感性じゃないかなあ。まあ、前ちゃんにとって、感性の答えが出るには、一年ぐらいかかるかなあ。

  人の話を全て聞いてあげられる・・・・・・聞いてあげられるのが、感性で、自分の事を言っているのは、感性じゃない。自己主張ばっかりじゃ、ね。見えてないし・・・・・・人が。』

  宴もそろそろお開きの時間です。今日も美味しいお料理を沢山いただきましたが、その中の「鯛入りたけのこごはん」を、「お持ち帰りできますか?」と新井さんが、お店のおかみさんに問いかけると・・・・・・

  おかみさん「持って帰る?持って帰ってくれるんなら。」

  会長『あの言い方!「持って帰ってくれるんなら。」・・・・・・。持って帰って「良いですよ」じゃなくて「持て帰ってくれるんなら。」ってあの言葉・・・・・・新井夫妻が、日頃このお店に通ってくれているからだろうけど、優しいね。それが、感性!』

 「居酒屋 季久」さんを、後にして、会長の馴染みのお店「祇園923(クニミ)」(東山区大和大路通新橋西側)さんへ、向います。
 「祇園923」さんの、お店の近くで冒頭のあの暴走が、止まりました。

  会長『何なんだろうねえ』とつぶやき・・・・・・。

  会長は、時折、手を合わせながら、高橋さんと私の三人で「祇園923」さんに、向って歩きました。





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