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                                     平成24年9月20日目次に戻る

  運動会の号砲や歓声が、秋風とともに漂ってくる季節になりました。その運動会で見る、子どもたちの無邪気で真剣な振る舞いと、屈託のない笑顔に、いつの間にか胸を熱くしています。
  普段から同じような想いで人に接していれば、いつも「胸いっぱい」になるんでしょうね。


  子どもたちの事を想い、数年前に煙草を止めたと言う山中さんが……

  山中さん「子どもをしっかりと育てないと……。」
  会長『只、飯食わしているだけじゃない?「育てる」とは言わない。あなたが、育てられている。張り合いって言うのを貰ったんだ。感謝しなきゃいけない。宝だもん。「この子たちの為なら死んでもいい。」……って言う事は、生かされているのは、あなたなんです。』

  会長とお付き合いの長い方たちが、繰り広げる真面目な話、いや只の洒落、と思えば奥が深い話……でも結びは、ジョーク。初めて参加された山中さんが、爆笑しながら、ぽつり……。

  山中さん「テンポが速すぎて、頭の中の整理ができないです。私、賢くないですから。」

  会長『「賢くないですから」って言う人ほど賢いと思っている。ホントに賢くない人は、その言葉も出てこない。』

  新井さん「ホントの阿呆に「あんた阿呆やね。」って言うと「僕は、賢いですよ。」って言う。」

  蔦谷さん「阿呆な人は、阿呆な事に気付かないほど阿呆なんやね。」

  山中さん「ちょっと、分からなくなってきました……。」

  会長『逆やからよ。「阿呆に阿呆という阿呆」って言うんです。似ているから阿呆が、解かる。』

  新井さん「次女が、海外旅行に行ってきました。出発した日と次の日ぐらいは、心配するけど三日目になると忘れるんですね。寂しいなあと思いながらも、一週間過ぎると居ないのが、普通になってくるんです。なんか水臭いと思ったけど、人間ってそうなるんだなあと……。でも帰ってくる三日前になるとまた気になりだしてくる。で、無事に帰ってきて顔をみると安心する。
  でも、どっちにしても子どもは、最後、親から手が離れるのだなあって思いました。」

  会長『「子は、巣立ち」って言って巣を立つんです。親が立たないんです。だから心配するんですよ。立った時点で既に、すごい信頼感を持って送り出しているんです。ところが、慣れていないから大丈夫だろうかと想う。でも三日で忘れるって言ったでしょう。居ないのが、あたり前になる。これを「巣立ち」って言うんです。って言う事は、「良い育て方をした」と言う自信があるんですよ。
 「俺は、薄情な親かな?」って言う必要はない。立派に巣立ちしてくれた「寂しさ」と「悲しさ」どこかでスネをかじりに来てほしいのに……でもホントに来たら怒るけども。嬉しいけれども……哀愁がある。だから子離れしなきゃいけないなって言う話やな。』


  会長『それと「心配」って言ったらマイナーに聞えるじゃない。「心配」って愛なんだね。なんて書いてあるの?…こころ(心)くばり(配り)…それを「心配」って言うんだよ。悪いことでもなんでもない。
 「心配」してどこが悪いんだよ。「心配」するって事は、愛があってやっている事なんだから……。

  そろそろ「巣立つ」って言う時から、「心配」を横に置いて、いつも無事を祈って自分も一緒に旅をしているところがある。「どうしているだろうか。」「俺だったらどうするだろうな。」一緒に楽しんでいるんじゃないかなあ。子どもの旅って言うのは……「行かせてやれた」って言う自負心もあるしね。自負心持って良いんじゃないかな……。』

 『「子ども」って、なんて有難い!』



  






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