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●―親と子の絆―

                                     平成26年7月5日目次に戻る

 ちょうど月例会の前日まで、若き日の会長が主演した映画が東京の阿佐ヶ谷の映画館で特別上映されました。その映画とは『札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥』。監督は名匠・関本郁夫さん。会長が二十代の頃の伝説的な作品です。
 この日の例会参加者のうちでも何人かが観に行っていたので、ひとしきりこの映画の話で盛り上がりました。

 さて、今回は初参加の方も何人か出席されていました。
 その一人、ヒロミツさんは、以前会長と出会ってからいかに自分が変わったか、健康になったか、熱弁をふるったのですが……。
 会長「あんたの話はつまらん。自分のことしか言ってない。あんたの奥さんのどこに惚れたの? そういう話を聞きたいの」

 会長「自然七訓があるけど、この七訓のうち四訓目くらいで引っかかっている。『四、自然とは己れを捨てて人の為に念ずる事である』。自分だけ高めようとしてもダメなんだってこと。自分のことばかり言っているようでは、まだ己を捨てていない。
『六、自然とは大我大欲を以て生きる事である』。この大我大欲に生きるっていうのが分かっていない。自分をなくせっていう話なんですよ。
『七、自然とは全宇宙の摂理に融け込む事である』。宇宙の摂理に融け込むとは、自分も何もなくなること。理屈言ったり、自慢話している間はまだまだ」
 ヒロミツさん「いや、厳しいですね。まいった。今日はまいったけどすごく嬉しいですね。どん底に落とされた心境です」
 会長「どん底だと思ってる。まだどん底までは落ちてない」
 ヒロミツさん「いやあ、今日は勉強になりました。皆さんありがとうございます」

 次は、今日が二回目の参加のノブエさん。今日もお母さんのミツコさんと一緒の参加です。先回出席のときは少し暗いイメージでしたが(失礼)、この日は元気いっぱい。マシンガントークが炸裂しました。全部は紹介できないので、以下はダイジェストです。

 ノブエさん「社会体育の専門学校を卒業して、インストラクターになりたいと思ってその職に就きました。8年間勤めてきたのですが、今年5月に退職したいと店長にお願いしました。その店長が私を採用してくれた時の面接官だったんですね。その店長と仕事できるのはすごく嬉しかったのですが、私の気持ち的に無理になったんです。
 昨年の10月から不眠に悩んでいて、夜中の3時から目が覚めてしまって、朝は会社に行かなきゃならないし、それでも仕事を投げ出さなかったのは、私が行かなきゃお客様や会社に迷惑がかかるからで、玄関で母に『今日一日頑張ってね、お母さんも頑張るから』って言われるのがすごく辛くって、頑張りたくてもできないんだよって、ずっともがいてました。正直言って自殺願望もありました。総武線の快速でもけっこう人身事故が多いので、線路に引き込まれそうになるかと思ったけど、そんな勇気もなくて……」

 ここで、ノブエさんの叔父にあたる音羽村村長さんが突然号泣。
 かわいい姪っ子さんへの愛情ゆえでしょう。いいですね。

 ノブエさん「今言えるのは、死ななくて良かったってこと。彼とも別れました。もう15〜6年付き合っていたんですけど。結婚のことも言われましたが、私のほうが煮え切らなくて。
 あと父は、今度は目の手術をするんですけど、付き添うのは私だけなんですね。母は一度も病院行ってないんです。いつも私だけなんです。会社の休みもとって」

 会長「この前は何も喋れなかったけど、これがノブの本体だね。機関銃みたいによくしゃべる。俺たち、ノブの本体知らなかったものね。お母さんとしてはどう? 元に戻ってほしくなかったんじゃない。元に戻ったら機関銃みたいだから」
 ミツコさん「そんなことないです。これからもお父さんのことがあるのでよろしくお願いしたいです」
 ノブエさん「8月は日曜だから一緒に病院行こうね」
 ミツコさん「はい」
 ノブエさん「主治医にも挨拶してね」
 ミツコさん「はい」

 会長「おいら、ミッちゃんとは20年間付き合いがあるけど、こんなに幸せそうな顔見たことない」

 親と子の絆を深く感じさせられる一夜でした。

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