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●東京月例会報告レポート


                         天からの啓示

                                  平成22年10月3日  目次に戻る

 この日の例会は、更新されたばかりの会長のブログを早速読んで下さった方のこんなスピーチから

「世の中はどうなっていくのか、自分のやれることは何なのか、そんな日本の心配するより、自分の家族の心配しろって言われるのは百も承知なんですけど」

 会長「その通り、嫁もらえ。本当の責任感は国の為とか家族の為とかより、まず嫁。この世に生あって、俺いたな、この時代にある一つの責任を果たした、生きて来た責任、産んで貰った人への感謝も含めて、これが軸じゃないか。この軸があればどんな成果があったとか、関係ない。それは結果であって、俺いたよ、ここに、一本芯持ったぞってものがあれば、それだけでいいんじゃないか。そこから枝葉がついて肉がつく。土台があればついてくる。嫁さんとか子供が出来たりとかいい友達が出来たりとか。あなたはどんな人間と聞かれた時、職業じゃなくて、こういう事を考えてる人間ですと言えるのが、芯」

  とここで夫婦の話に。会長が常々心配されている離婚経験のある男性に、今回はこんな風に。

 「夫婦が上手く行く方法って無い。もし有るとすれば思いが続けられるかどうか。どんな目に遭っても好き、腹が立っても3日もすれば会いたくてしょうがなくなる、これがホンマもん。欠点も含めて好きかどうか。神さんみたいな人と結婚してどないすんねん、堅苦しくて生きていけない。欠点だらけ同志で練れていって、長年いくと風化して全部許せるってなってくる。初めはどちらも許せないよ、全然違うところで育ってきたんだから。文句言い合い、戦う、明日に残さない。俺だけ黙っていればいい、明日の仕事に差し障るからとか、いかん、いずれ別れる。
  一人の嫁、夫と決めたら、お互いの為に死ねるってならなきゃ。そしたら相手のことを全部受け入れられる。ムカついても、いずれ分ってくれた時にはその欠点をなくしてくれる。俺の言うこと聞かねえってなるのは違う。

  自分に合ってないから、自分の思い通りにしてくれない、だから別れる。自分中心。条件があって、やっぱり自分の思った人じゃなかったって離婚してたら、バツいくつにもなっちゃう。あこれも違った、これも違った、自分は何も変らないで。
  でも君は卑下する必要ないよ、まだ本当に惚れる人に、運命の人に出会ってないだけ。だから簡単に結婚するなよ。別に結婚しない奴は、人間としてダメって言ってるんじゃない、結婚しな

い方が幸せなようなタイプもいる。でも縁があったらね。人の子でも自分の子と思える人。それは自分の子ですよ。何も結婚しなくても生き方、愛し方がある。
  今のところ条件ばっかり気にしている人間に見える。でもこういう場に来ていること自体が真面目、人を馬鹿にしていない。自分が素的になろうとしているから。君に必ず縁があるのは当たり前、死ぬまで独身は有り得ないよ」

  さて今回はRさんのこんな話も聞く事ができました。いつも一見クールな方なのですが。

 「会長が身の周りのものを捨てている、残していけないから少しずつ減らしているって言っていた。俺も家の中をみると使いやしないものが沢山ある、それを最近捨て始めた。そしたら昔の日記が出て来た。高校生の頃の日記。つい読み込んじゃったら、ある日の日記に『夢に理想の女が出て来た。名前を聞いたらルナと言った。そこで目が醒めた。もう一度会いたいと思ってまた寝たら、続きを見た。君の名はって言ったら、○○子と名乗った』と、ほんと。えー!ゾクゾクって自分でびっくりした。まだカミさんに出会う何年も前だよ、カミさんの名前を名乗る女の夢を見ていた事も、それを日記を書いた事も忘れていた」

 会長「鳥肌たつなー、宿命っていうのかな、二人はワシが結び付けたようなもの。『天職』の編集で出会ったんだもんな。それにしても時々部屋は整理するもんだなあ、何か一つ手に取っても、つい見入ってしまって捨てられない。でも捨ててあげないと、残して置かれても困ると思って。5年の後にはいなくなるんだから」

  ここで最新のブログにも書かれた、会長が66歳の誕生日の未明、享けた天啓の話題に。

 「まだ5年もあると思わないから、長いね71歳だよ。あと5年も付き合わなきゃいけない? そんなに付き合えないよなぁ?(笑)」と会長。
 「暗闇の中に声だけでね、いい声だったなあー、何の声だろう、僕が憧れていた声かもしれない。僕がまだ講演活動するとしたら、あの声になるんじゃないかな、そしたらロクなこと言っていなくても、ダジャレ言ってても皆、あの声だったら納得する。今迄享けたのは画や動く映像で教えられて、その通りやってきた。その為に大好きな芝居も止めてしまった。38年前だよ、あれでメシ喰えていたし、楽しんでいられた。それでも感動は与えられたと思うけど、絵空事ではない天啓を享けてしまったから。
  今、世も末世みたいになっている、ブログにもこれ以上文字は書けないみたいな事が書いてある。だから更新に一ヵ月以上かかった。あれで本当なら終ってしまう、救世主いないんだもん、どうすんだよ。お祓いは人数を制限して、大作三冊、啓示がきたから、書き上げねば」





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