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●東京月例会報告レポート


                     暖炉のような場所

                                  平成20年11月2日  目次に戻る

  親子、夫婦、家族間の会話のズレ、コミュニケーションの難しさについて大いに話題になった今回、会長は息子さんとの会話を例にとって、色々語って下さいました。

  …人にはテンポがあってね。家の息子なんかでも久しぶりに会うと「親父さー、こういう話があるんだけど」ってちょっと言い出すと「あ、それ、よくあるんだよ、そういう場合はこうこう…」って私が先に言っちゃうわけよ。
  答えじゃなくって、そこからオレの考えを聞いて欲しいのに、行き着く先はきっと親父の言った結果になるんだろう。でもその前にどんなニュアンスなのかとか、もっと微妙なものがあるんだから最後まで聞いて欲しいってのがあるんだな。
 「先まで指示するなよな」ってよく怒られましたよ。中学生くらいの頃、友達との関係とか。旅ばかりしてて、滅多に逢わないともう嬉しいもんだから、何か教えてやろうと思うじゃない、そうするとウザイって。そんなこと親は分からないから、ああ、息子の為に今日はいいこと言ってやったって思っている。そしたらカミさんから旅先に電話がかかってきて「パパさー、こないだ、あれ、喋りたかったみたいよ」「何が、だから全部答え出したじゃん」「違うっていうのに、聞いて欲しいの」って。

  じっくり聞いて上げてね、後で結果はこうなるし、こうしたほうがいいよ、って。その経過の中であーあの時、苦しんだんだねとか、あの時良かったね、でも間違ってた事もあったね、でもここに辿り着いたんだからいいじゃない、それが聞きたい。そんなもん全部無視しちゃって、失敗すると「なんで親父に相談しないんだよ、教えてやったのに」「よく言うよ、その時、親父居ないじゃないか」ってよく怒られた。それから分かった、全部聞いてやろうって。そしたら一時間位もう喋りっぱなしに喋ってる。ついつい口を挟みたくなるんだけど、そうすると止めてしまうんだよね。

  自然会の例会が物凄く勉強になるんですよ、一人一人スピーチが回った時に、喋る事が無いとか、苦手とか言い乍らも、どこかで湧いて来る。詰まる人も多いよね、五分、10分…って。これが勉強だから、じっと待ってる。最高40分待っていた。食べたり飲んだりしていても私語は無し、皆、黙っている。
  その間の息遣いで分かる。喋れないんじゃなくって、言葉が出ない。コレ言ったらお終いかもしれない、墓場まで持って行こうか、ってのがあるんだね。その間、文章だったら……40分……。長ければ長いほど、わーっと出た時は結論が出てる。じーっと聞いていた回りが皆、貰い泣き。やっぱり中身は作っていない。我慢できない人は脇から入っちゃう。こう言いたいんでしょとか、辛かったら言わなくっていいのよとか、訳の分からない事を言っちゃう。そしたら集中力がもうなくなっちゃう。だから聞く事は物凄く大事。聞いてあげるんじゃない、聞いている修業。私にとってもね。

  聞く方も話す方も真剣そのもの、一杯いろんなものがあって、それが時間をかけて沈黙の中で取り除かれて、中の真髄だけが最後に残って、ぱっと出て来る。これが堪らないのよ。そうすると必ずその問題は解決する。今日はいい日だなーって、そういう風になった人ってその日から一遍に人生が変わる。話下手だと思っていた人が、吃音症の人までも、すーっと喋るようになっちゃう。結局病気も一緒、すべては気、気が変われば、心の中に雨が降っていたのが、ガラリと晴れちゃう。全然嘘みたいに。
  本に"あなたは変わる"なんて書いているけど、本当は変わっているんじゃない。閉じ籠っていたのが晴れただけ。"開眼、自己改革"なんてありえない、変わる事なんてない。"自己進歩"ここにいたのが上がった、縦線、一本ですよ、人間の道って。

  リビングがあって、子供の部屋とか親の部屋とか分かれているじゃない、でもどこに行くにも必ずリビングを通るようにしておく、そういう設計に出来ればいいね。
  おいちょっと寄っていけよって、そういう暖炉のような場所。必ずそこを通らないと部屋に行けないようにしちゃう。無理にここに座れなんて言わなくても、お父さんとお母さんが喋っていると邪魔って言っても居る。そういうもんだよ、家っていうのは。ウチなんてまるでジャングルですよ。風呂上りにバスタオルで隠したりしない。宅急便がきたらジャンケンポン、負けた人が出て行く。家族に鍵は要らない、家族に服も(!?)要らない。家族ってそういうもんですよ。

……………


  ブログがvol.85で止まってしまったんだよね。(この例会が行われた11/2時点で)
  何故かっていうと、これ以上書くことがあるかって所まで書いちゃった。素直って言葉が本当の形で出てしまったらあと何を書くのか。それ以上ないから、一ヵ月止まってしまった。後ないんじゃないかって素直、達観。
  慈悲だとか、許すとか、一杯ある。それを乗り越えてきてその間に一個ずつ許すたびに素直が入ってきて、人の所為にせずってずーっと書いてきて、ぱっと書いた素直が…全然違う素直なんだよね。  



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