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●東京月例会報告レポート
      

美について語ろう

平成19年6月24日

 

「今日のテーマは美だ、美って何だと思う?」と会長が皆に語りかけられました。

 「美と言うのは一番柔らかいところで言うと、好印象を持つか持たないか、好印象を持たないものは醜い。何なんだアイツは汚い、から始まって、若々しいだけでも美かも知れない、大きく言えば。細かくしていくと、生き様、今、光り輝いているかどうか、そうすると年ってのは却って武器になる。

  ところが年をとってどんどん駄目になって、ぐだぐだ介護士の世話になって、老醜していく。
  口も利けない、下の世話までやってもらわなきゃならない、子供にも来てもらわなきゃいけない、本人は頭の中じゃ、どうせ動けないなら、早く死にたいばっかり思っている。これは美じゃない、醜いですよ。それは過去の生き方のまずさです。後悔先に立たず、そこから反省して間に合うかどうかは分からないけど、しないよりはした方がいい。来世でちゃんと、その反省を生かした生活が出来る。

  介護の問題は大きな問題になってきているけど、80歳を過ぎて、一人住まいをして、息子達には世話にならない、といって介護士の世話になるんじゃない。自分の事は全部自分でする。買い物に行って、食事も作って、散歩もして、それで生涯を全うしようとしている人もいますよ。本当に危ない時はおそらく二〜三週間。その時には身近な人が助けてってことはあるけど、それは助けじゃなくって、ただ逝くよ、看取ってくれ、ってだけで、別に介護士の世話になることじゃない。

  老いて醜くなっていくのは美ではない。寿命がいつかは別にして、どんどん綺麗になっていかなきゃいけない。それが本当の目的じゃないかな、人間の」




  先月の例会で「今はまだ過程なので、この結果は来月」と会長が仰っていた、お祓いに来た時既に癌の末期で、医者が告知した期限も過ぎていて、という方のその後を話して下さいました。

 「いっぱい美を感じている。感動している。
  私と同じ歳で、厳しい刃の下を潜って生きて来た人。妻を大事にし、子を大事にし、守るものを守ってきて、部下達の面倒も見、その家族の面倒も見、息子はもう立派に自立しているから、最終的には妻にだけお金を残して逝った。立派な生き方をした人だった……これは美だと思います。

  私が行くと、ひっくり返っていても、ささっと正座して、立ち上がって、お茶でもどうぞって。お祓いしていると、先生、大丈夫ですか、って私に。すごい人だね、あれが心の美。人間が死ぬ時の本当の美を持っている人だなあって。

  最後に奥さんが疲れているから私が「オイ、息子よ、完全介護だけど今日は寝ずの番でおれ」って言った。別に苦しんでいるわけではないし、どんどん元気になって皆喜んでいるかも知れないけど、人間って、本当に素的に死ねる人は、七転八倒して死なない。死ぬ間際に小康を得るんです。その小康はお祓いの結果、得られたものです。
  そこで親子の会話があって「ありがとう」って親父が言った。大切な親子の別れの時間がとれた。
  翌日、トイレ行って来ると言って、一人で、そこでスーッと逝ったそうです。

  朝10時に電話があって「亡くなりました。先生ありがとうございました」って。息子が「先生、親父を偲んで、落ち着いたらお酒を飲んでくれますか」「おう、いい親父さんだったからな」「ありがとうございます」

  美というのはこういう事を言っているんだ。美で死んでいきたい。汚く、阿鼻叫喚で死んで行きたくない」





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